だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

親父

【親父と僕の話⑫】ばあちゃんと入学式

今の小学校は二分の一成人式というものを行う。息子の学校では、クラスで子どもが特技を披露、将来どういった職業につきたいかを発表するという企画があった。それは、とても微笑ましいもので、僕も和んだ気持ちになった。うちの息子は数学博士になりたいよ…

【親父の僕の話⑪】 給食費とオレンジ色の教室

人生にはどうしようもないぐらい、悔しいことって誰にでもあると思う。はっきりとした記憶はないが、悔しいって気持ちだけが心の片隅に残っていて、あれってなんであんなに悔しかったんだっけ。みたいなことも。 今回も、⑩の時と同様に、親父と母親がいない…

【親父と僕の話⑩】親父は塀の中、母親は男と行方不明、その子どもは…

令和2年4月6日午前8時、親父が死んだ。弟と話す親父のエピソード(ほぼ悪口)がおもしろく、それを書き留めておこうと、かなりやる気がなくなっていたブログを再開した。 不思議なもので、親父のことを書こうとすると、記憶のずっと奥に隠れていたたくさん…

【親父と僕の話⑨】『飲んだくれのキューピット』にはなれなかった

親父の話をするのに、酒癖のことははずせない。印象に残っているエピソードをおひとつ。これは、もう僕が大人になってからの出来事である。 はじまり、はじまり~。 人生紆余曲折あり、親父は船を買い、漁師をしていた。僕が高校生くらいの時からだったと思…

【親父と僕の話⑧】37年後に謎が解けた話 やっぱり金八先生は正しかった

金八先生で、人という字は、ひととひとが支え合ってできているんだ。という、名シーンがある。四十九日で実家に帰った時、本当にそうだなと思わわされることがあった。僕は、知らないうちに、支えられていた。それは、親父と母親がいなかった時の話である。 …

【親父と僕の話⑦】人生で一番つらかった1日

人生で一番つらかった時っていつ?って聞かれたら、即答できる。 あの時ではなくあの日だ。って。 前回は、一番つらいちょっと手前の頃を書かせてもらった。 pinewood13.hatenablog.com 親父のことを書いているつもりが、なんだかんだで自分のことを書いてい…

【親父と僕の話⑥】 人生で一番つらかった時のちょっと手前 

人生で一番つらかった時っていつ?って聞かれたとしたら、即答できる。 そう、あの時だ。 おいおい、そりゃいつだ?もちろん、それは前回の⑤の続きのあたりだよ。前回なんか知るかい!って方が、新たに当ブログにアクセスしてくれたかもしれないので、前回の…

【親父と僕の話⑤】 札束、ピストル、そして上皿てんびん

タイトルを見ても意味が分からない。もっと分かりやすいタイトルのほうがもっと関心が持たれやすいだろうなとは思う。でも、このタイトルが頭に降りてきちゃったから、しょうがない。読めば、分かるんだけどな~。当たり前か。 さて、親父の話も5回目になっ…

【親父の話④】 自分のことが大好きな親父の美への意識

ここのところ、親父のお金に対するだらしなさが巻き起こした出来事について書いてきた。ほんと、どうしようもない親父だった。酒癖、女癖、世の中の悪い癖をすべて兼ね備えていた気がする。 pinewood13.hatenablog.com pinewood13.hatenablog.com でも、良い…

【親父と僕の話③】 パンチパーマでグラサンのおじさんと帰ってこない親父

パンチパーマの人を、最近、見かけなくなった。パンチパーマでグラサンなんてほぼ絶滅しているのではないだろうか。昔、パンチパーマでグラサンのおじさんを観察したことがあった。でも、その観察日記を書くわけではなく、やっぱり親父のことだ。でも親父は…

親父の話② 借金取りと電話怖い

小学生のころ、電話が大嫌いだった。というか、恐怖だった。特に、あの音が。 僕が小学生の頃、つまり昭和50年代は、まだプッシュ式の電話は少なかった。どの家にもダイヤル式のいわゆる黒電話を使っていた。だから、今と違って電話のベルの音はどの家も同じ…

【親父の話①】 入れ墨と半分しかなかった小指

ブログ名のように淡々と生活していたら、コロナの騒ぎにまぎれてブログは放りっぱなしになっていた。 淡々と生活しているとブログを書くより、ごはんをゆっくり作ったり、子どもと一緒に勉強したり、家で自粛しているじいちゃんばあちゃんに体操ビデオ作った…