だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

花を贈るということは照れる

畑に咲いていた菜の花をすべて切り取り部屋に飾った。
これだけの花を飾る花瓶がないからバケツへ。
いきなり、部屋に春が来た感じだ。香りもいい。
とても贅沢な気分。


コロナウィルスの影響で学校は休みである。
ゲームとアニメ三昧の息子。
このままでは、ダメ人間になると心配するオクサン。
仕事が休みだったこともあり、息子を畑に連れて行った。

菜の花を見て、「きれいだね」と言った息子に、ちょっと成長を感じた。
僕が菜の花を切っていると、「僕がやると」ハサミを奪う。
まあ、短い時間ではあったが、土を触り、太陽を浴び、風を感じる良い時間になった。

売るほどある菜の花を近所にいる仲良し家族のところに持って行ってと息子に言うと。
「なんか変な人みたいじゃない」と少し照れる息子。
小学4年生というのは、花を贈るということに対して、ちょっと照れくさいという気持ちをすでに持っているようだ。


こういう感じ、なんか好き。


いくつになっても、花をもらったり、あげたりするのは照れくさいものだ。
50歳手前の僕もまだ、照れるし。