だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

【親父の話①】 入れ墨と半分しかなかった小指

ブログ名のように淡々と生活していたら、コロナの騒ぎにまぎれてブログは放りっぱなしになっていた。

淡々と生活しているとブログを書くより、ごはんをゆっくり作ったり、子どもと一緒に勉強したり、家で自粛しているじいちゃんばあちゃんに体操ビデオ作ったり、のほうが楽しくてブログは二の次になっていた。

まあ、それをブログにすればいいのではという話もあるが。まあいい。

 

まあ、とくに書くこともないけど、書くことが好きだから、また書き始めることにした。言葉が好きなのだ。話すでも、書くでも。

 

 

 

突然ですが、令和2年4月6日午前8時、父が死んだ。

 

持ってる男は、死ぬ時も持っている。この偶数の並び。偶然というには素敵すぎる。

僕には弟がいるのだが、二人そろって、悲しみは沸いてこなかった。驚くほどに。まあ、介護状態になってからずいぶん時間がたっており、この時が来る準備できていたというのもあるが、それだけではない。まあ独特な親子関係だったからなのだろう。

コロナの影響のせいだけでなく、一人っ子で友人がいない父のお通夜、お葬式には参列する人がほとんどいなかった。だから時間がとてもあった。その間、弟と父の幾多のエピソードを語り合った。他人が聞いたら、もしかしたら、ただの悪口に聞こえていたのかもしれない。実際に、横で聞いていた弟の嫁さんは「よくそれだけ悪く言えるな」と笑っていた。

 

ここからは、男っぽく親父と書こう。

 

弟と語った、親父のエピソードを覚えているうちに少しずつでも書き残しておこうと思い。ブログ再開。

 

繰り返しになるが、親父はとても、まあいろいろとらえ方はあると思うが、とても独特な人だった。

 

大きな身体的特徴として、右肩に入れ墨があった。それは、流行りのかっこいいTATOO的なものではなく、いわゆる「もんもん」ってやつだ。確か、赤い牡丹や、龍みたいのがいたような気がする。まことに色鮮やかな仕上がりだった。そして、左右どちらか忘れたが小指が半分無くなっていた。幼い頃は、事故で無くなったと聞いていた。

 

親父が若い頃について詳しく質問したことはないが、たぶん、中学卒業して(本人曰く、卒業していないということであるが)、かっこつけて、やくざの組にお世話になり入れ墨したが、気が小さいから続けることができず指を詰め、堅気に戻ったのではないかと想像している。

 

残念なことではあるが、親父のことを良く知っている人間の一人として言わせてもらうと、親父はやくざで成り上がるような玉ではない。映画の中のかっこいいやくざに憧れているタイプの玉である。おとなしく、映画を観るぐらいにしておけば良かったのに。勘違いしたのだろう。

 

やくざに憧れて入れ墨し、やくざを続けられなかった20代の男がする行動をみなさんは想像できるだろうか。

 

僕は想像できる。というか、まあ目の当たりにしてきた。

 

そう、やくざに憧れて入れ墨をした20代男子は、間違いなくその入れ墨を周囲の人に見せたがる。それは、それは露骨に、しかもやたらと。それは、野生動物でいうところの威嚇という行動だったのではなかろうか。小さいし細い親父が、もし誰かと喧嘩したら、間違いなく負ける。だから、猫が毛を逆立てる、犬が呻るごとく入れ墨をみせることで周囲の人たちを威嚇していたのだ。入れ墨を見せることは生き残る親父の術だったのかもしれない。

 

これは僕の想像であり、親父が「さて、今日も俺様の入れ墨で威嚇しれくるか」と言っていたわけではない。当たり前だ。

 

夏になると、タンクトップのシャツを着て玄関先でたばこを吸ったり、半そでシャツから少し入れ墨をはみ出して出かけたり、しまいには裸で木刀を持って走り回ったり、もうここまできたらクレイジーというか、今なら警察沙汰。

 

まだ10歳にもなっていない僕は、これが本当に嫌だった。

 

タンクトップ姿の親父が玄関先でたばこ吸っている時は、頼むから友達や友達の家族よ現れないでくれって祈っていた。僕の友達やその家族が威嚇の的にならないことを。

威嚇するなら、僕と親父が親子ってことを知らない人たちしかいない場所でしてくれ。そこなら、毛を逆立ててるのも、呻るのも好きなだけしていいから。

 

 

たぶん、近所の友達は、僕の親父の体に絵が描かれていることを知っていたはずだ。でも、気を使ってか、親に言われていたのか、誰も面と向かって僕に

「お前の親父の体って、なんか派手だな。ははは」

なんて、気の利いたことを言うやつはいなかった。

僕がそのことを言わせないような、超鉄壁なガードをしていたかもしれない。その話に触れたくないオーラは間違いなくだしていたのは覚えている。

 

 

今では、TATOO的な入れ墨をしている若いお父さんをたくさん見かける。そういった、お父さんを見るたびに、あの頃の苦い思い出が頭をよぎるのだ。

 

 

 

 

これから、しばらくは親父のことを書いていこうと考えている。お金にだらしなく、お酒に溺れ、薬にも手をだし、塀の中にも入り、言い出すとキリがない。

物心ついた頃から、息子としてかなりシンドイことが多かったけど。それをオモシロオカシク書けたら親父の供養にもなるのではないだろうか。ならねーか。