【親父と僕の話⑥】 人生で一番つらかった時のちょっと手前
人生で一番つらかった時っていつ?って聞かれたとしたら、即答できる。
そう、あの時だ。
おいおい、そりゃいつだ?もちろん、それは前回の⑤の続きのあたりだよ。前回なんか知るかい!って方が、新たに当ブログにアクセスしてくれたかもしれないので、前回の記事を。ドン。読んでいただけたら、この上ない幸せ。
簡単に言うと、札束、ピストル、そして上皿てんびんがでてくる話だ。そして、それを取り巻く家族の。ほのぼのとした、、、
また、前置きが長くなった。そろそろ、前回の続きを書きます。
はじまり、はじまり。
上皿てんびんが我が家に存在し始めてから、親父は、1つの部屋に内鍵をつけた。そして、鍵をかけ一人で部屋に閉じこもることが増えた。それは、時に親父の友人と称する人と一緒だったりもした。
僕は、内側から鍵をかけてやることなんて、怪しい事に違いないと思っていた。Hなビデオを観たり、Hな本を読んだり、Hなことをしたり、、、、Hっばかやん。小学6年生くらいになると、いろいろ目覚める時期である。密室の親父の行動に興味がないわけがない。おい親父、何してる。
僕は知っていた。ドアノブのところに小さな穴が空いていることを。都合良すぎない?ですよねー、でも事実。
親父がその部屋で作業をしているのを、こっそり覗いてみたことがあった。そこには、一人ニヤニヤしながらH本を見ている親父がいた。なーんてことはあるはずはなく。
期待外れなつまらない親父がいるだけだった。親父は上皿てんびんを使って、何かの重さを量っていた。鍵締めて、真剣に、重さを量る。ただ、それだけ。なんだそりゃ。
その頃のことをはっきりと覚えていることはあまりない。薄モヤの中だ。
でも、家の雰囲気が少しずつ変わっていくのを感じていたような気がする。もう、借金取りが来ていた頃とは違い、僕は少し大人になっていた。
借金取りが来ていた頃って?言われてもという方のために、過去ブログを、ドン。読んでくれたなら、さらに幸せ。
ブログを書きながら、その頃のことで、ある場面をはっきりと思い出した。それは、いわゆるターニングポイントだったのかもしれない。話の流れはおかまいなく、それを書かせて。
学校が終わり、友達と帰る途中のことだった。僕の住んでいる田舎で見ないような、白いスーツに身を包み、チンピラのように歩く男の人が前方から歩いてきた。こういう人に声掛けられたら、絶対についていってはダメだよと学校で教えられていたタイプだ。僕たちは、くわばらくわばらと少し道路の端に寄った。
しかし、その男が近づいて来るにつれ、回れ右して、そのまま学校に戻りたくなった。
近づいてきた男は紛れもなく、田舎ヤクザ丸出しの親父だった。僕は動揺した。何考えてんだ。誰のつもり。勘弁してよ。
僕は、瞬間で他人のフリをすることを決めた。後にも先にも、あんなに本気で他人のフリをしたことはない。親父も僕に声を掛けてこなかった。ほっ。
友達にバレなかったという意味では、他人のフリは成功だった。でも、親子の関係として、それはどうなんだろう?あの時、声を掛けていたら、また違う未来が待っていたのかもしれない。しれない族の反乱。違った、あれは、くれない族の反乱か。古い。てか、分かる人いなくね。
親父は、家を留守にすることが増えた。帰ってきても鍵を締め、部屋に閉じこもっていた。親父と話をすることも、めっきり減った。逆に、僕は爪を噛むことが増えた。
我が家がだんだんおかしくなってきていた頃、男2人が家に親父を訪ねてきた。きちんとした身なりの人で、パンチでグラサンではなかった。借金取りではないということは僕たち兄弟をホッとさせた。でも、母親は借金取りが来た時以上に不安な表情をみせていた。
男2人組が訪ねて来た時、いつもはいない親父がいることがあった。なぜか、親父は慌てて、天井裏に隠れた。薄暗く、柱しかないその場所は僕ら兄弟の遊び場だった。母親が親父の不在を告げると、少しばかり母親と話をして男2人組は帰って行った。
なんなんだろうと思いながらも、僕は天井裏にいる親父を呼びに行った。天井裏につながる押入れの上にある板を開け、小さな声で「おとうさん」と呼んだ。返事はない。暗さに目が慣れ親父が見えた。そこには、小さくなってガタガタ震えている親父がいた。お前、誰なんだよ。
それ以来、親父は家に帰って来なくなった。いないのには慣れていたが、まさかそれが2年以上になるとは。
しばらくして、親父が警察に逮捕されたことを知った。容疑は覚せい剤取締法違反。男2人組は警察の人だった。
たぶん、上皿てんびんで重さを量っていたのは覚せい剤だったんだろう。使い方は間違っていなかったけど、量る物を間違えちゃったね。おしかったなー。
逮捕されたことは誰から聞いたのかな。やっぱり母親なのかな。覚えていない。母親に泣きながら、何かを言われたことはあった気はする。それが、それだったのか。それは、それじゃなかったのか。それはなんだったんだろうか。それはそれ、あれはあれ。わけわからん。
親父がいなくなっても、寂しい気持ちはなかった、と思う。それ以上に、友達や近所の人に親父が逮捕されたことがバレないかどうかがとても不安だった。だから、バレないように必死だった。小6の小さな心も体もボロボロであったはず、けれど何事もなかったように振舞っていた。バレたら人生終わりってくらい。
そんなことを親父は知ってか知らずか、2年後、塀の中から帰ってきた時の言葉に僕は心打たれた。誰かが逮捕されたというニュースをテレビで観ながら、親父が一言。
「どうも、(親父が)逮捕されたこと、テレビでも放送されたみたいだぞ」
と誇らしげ、自慢げに言ってのけた。おいおい。君は何も変わってないな。2年間何をしていたんだい。塀の中とは、シャバでのいろいろな事を反省する場所でないのかい。これじゃ、まさに「塀の中の懲りない面々」を地でいってるじゃないか。
親父、分かっていると思うけど、僕たち2人が持っている苗字は市内に一件しかない、とても珍しい苗字なんだよ。はははは、この野郎。
全部、近所の人にバレていたじゃないか~~~~~ぃ。僕のあの頃の頑張りはぬか頑張りだったんだね。とほほ。
もうすぐで、人生一番つらい時期にはいるんだけど、長くなったから、次にしよっと。だから、今回を前編とする。決めた。
なんかブログ読んでいると、この人、暗い小学生時代を送った可哀そうな人だなと思われているかもしれない。でも、楽しい思い出のほうが多いよ。ってことを最後に言っておきます。
ではまたー、良ければ後編も読んでくださいね。