だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

【親父の僕の話⑪】 給食費とオレンジ色の教室

 

人生にはどうしようもないぐらい、悔しいことって誰にでもあると思う。はっきりとした記憶はないが、悔しいって気持ちだけが心の片隅に残っていて、あれってなんであんなに悔しかったんだっけ。みたいなことも。

 

今回も、⑩の時と同様に、親父と母親がいない時のことを書きます~。あれは忘れもしない、小学校6年生の時のこと。

暗い話なので、そういった話が好みじゃないわって方は読まないほうが良いかもです(笑)

 

始まり、はじまり~。

 

 

「放課後、ちょっと残って」

 

クラスの担任から声を掛けられた。正直、50代カバ顔の男の先生のことはあまり好きではなかった。給食後、口元を隠しながら、爪楊枝を使って歯をホジホジする姿を見るとうんざりした。もちろん、むこうも僕のことを良く思ってなかっただろうけどさ。

 

生徒たちがみんな帰り支度を始める中、言われた通り、僕は教室に一人だけポツンと席に座っていた。なんか、悪いことして残されているようで、友達にバツが悪かった。先生は教室の自分の席に座り、何か作業をしていた。

 

僕以外の生徒が全員帰っても、先生は自分の作業を続けた。ただ僕はジッと黙って座って待つことしかできなかった。窓からは夕焼けが差し込み、教室も先生も机も椅子もオレンジ色に染めていた。

自分が置かれている状況も忘れ、「きれいだな」と思ったのを覚えている。そう、少年は、どんな時でも今を生きているんだ。それは、誰も邪魔をすることができないんだ。

 

待っている間、僕は何を考えていたのだろう。はっきりと覚えていない。でも、理由を知らされることもなく残されている自分が、だんだんと情けなくなってきたような気がする。そうじゃなくても、両親いなくなり自尊心はかなり崩壊している。

 

 ようやく、先生が立ち上がり、教卓の前に僕を呼んだ。教卓を挟んで、先生と僕は向かい合うように立った。卒業証書授与式かよ。

 

何も言わず先生は僕に封筒を差し出した。

 それは、給食費を払う封筒だった。

 

先生は僕にその封筒を渡し、それから、いろいろと話し出した。でも、ほとんど耳には入ってこなかった。とても簡単にすると、「給食費を払わなくていい」ってことを言っていた。そこには、親がいなくなったこと、行政の支援を受けていること、僕がしっかりしないといけないこと、などを言われていたのかな。アイマイだ。

先生の話を聞いている間、ずっと僕はうつむいたままだった。そして、それまで感じたことのない、やり場のない悔しさがこみ上げてきた。その悔しさは、ずっと我慢していたものだったかもしれない。

 

夕日はさらにオレンジ色を増し、先生と僕を照らしていた。

 

それは、まるでもう一人の僕が見ているように、そのシーンが頭の中にはっきりと残っている。話し続ける先生とうつむいている僕がオレンジ色に染まっている姿が。幽体離脱?なわけないか。

 

一人で家に帰る道、涙がこぼれてきた。家族崩壊、自尊心崩壊、そして涙腺崩壊。

 

学校から家までは遠かった。家に着く頃には、悔しさも涙も消えていたと思う。だって、泣いている姿は弟に見せたくないでしょ。兄のプライドまで崩壊できないからね。

 

 

しかし、なんで、あのカバ顔の先生は教卓に呼んだのだろう。僕のほうに歩み寄ってくれて、椅子に座って話してもいいだろうに。ほんとにもう。やっぱり、好きじゃねーな、あの野郎わ(笑)「バカ野郎~~、違った、カバ野郎~~~」

 

 

 

 

              ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

ほんと、子どもの無力さを痛感していた時期。特にお金のことは。

でも、自分のことなんだけど、子どもの強さを感じた、というか思い出した。そう、あの時の僕は強かった。絶対に負けんって思ってたもん。何もかにもに対して。

 

最後までお付き合いありがとうございました。

今回は、いつもに増して、書いた後、元気になってきましたーー。やるぞ。

ではでは~~