だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

【親父と僕の話⑫】ばあちゃんと入学式

 

今の小学校は二分の一成人式というものを行う。息子の学校では、クラスで子どもが特技を披露、将来どういった職業につきたいかを発表するという企画があった。それは、とても微笑ましいもので、僕も和んだ気持ちになった。うちの息子は数学博士になりたいようだ、今はもうすでに変わっているけど(笑)

 

子どもたち全員が発表を終えると、先生が

「では、お父さん、お母さんとお話をしてきてくださ~~い」

と、嬉しそうに親子の交流を促した。呑気なものだ。ちょっと毒吐く。両親が来ていない子どもにとって、そういった場がけっこうシンドイことって分かってない。

 

 

 

 

母親がいなくなった時って、ちょうど小学校の卒業式と、中学校の入学式というビッグイベントがあった頃。よりによって、こんな時にいなくならなくてもいいのにね。間が悪い。

 

 

小学校の卒業式は、親父の幼馴染のおじさんに出てもらった。あの、【親父と僕の話⑦】で「お前はなにをしてくれるんだよ」と心の中で毒づいた人。卒業式に親代わりとして出席してくれたのだよ。あの時の僕は間違っていた。

 

pinewood13.hatenablog.com

 

その時代、世のお父さんって仕事休んで学校行事に参加する訳ねーだろって感じだったので。おじさんが出席するのも目立っていた。でも、その後の中学校の入学式と比べると、かなり自然な感じではあった。

 

中学校の入学式には、仕事があるのでおじさんは出席することができなかった。他に頼むあてもなかったので、ばあちゃんに出席してもらうことになった。これが、けっこうきつかった。

 

親父も母親もいなくなって、面倒みてくれてるばあちゃんには、本当に感謝しているよ。これには嘘はない。でもね…………ツライ。

 

 

入学式が終わった後だったのかな。生徒も保護者も教室に行き、生徒は着席、保護者は後方で立ち、担任の話を聞いた。後ろを振り返るまでもなく、ばあちゃんがやたら浮いているのは分かった。恥ずかしかった。

 

別に威張る訳ではないが、僕のばあちゃんは上品の対局にいるような人だった。たばこは吸うわ、野ションベンはするわで。

海岸で働くその顔は黒く、深いしわが刻まれ、髪は整えているつもりだろうが、それを凌駕するほどモジャモジャ感を持つ、いかりや長介似のばあちゃん。華やかな衣装の中で、真っ黒な喪服使用の礼服に身を包む姿は、否が応でも目立たずにはいられない。

 

だから、申し訳ないが、知らないフリと申しますか、必要最低限しか接さないようにしていた。にもかかわらず、その後、思いもしないことが。

 

「では、生徒と保護者の方、ご一緒に廊下に並んでください」

 

と、先生からご指示がでた。ちょっと、待ってよ~~~~。神様は、きちんと見ていた。僕の恩知らずな態度を。

僕はばあちゃんと一緒に廊下に並んだ。早く、この生き地獄よ終わってくれ。ばあちゃんは、僕の気持ちなんて全く気にしていなかった。いつも以上にいつも通りだ。流石。

 

新しい面々だらけの入学式、僕らのことなんて誰も気にしてもいなかったはずだ。でも、自意識があまりにも過剰になっていた僕は、みんなが僕とばあちゃんに注目し、何か囁いているように感じていたのだった。被害妄想MAX。

 

 

そう、こんな感じで、人生で一番病んでいた中学時代が始まった。

 

 

 

 

 

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これで、ひとまず、【親父と僕の話】の小学生までが終わり。なんとなく、暗い話ばかり書いているので、引きこもったような小学生時代を送っていたような感じになったかな。

 

自分の闇と毒を書きたくて書いていたのだが、闇も毒もとりあえずは出尽くしたようだ。今では、少年時代の楽しいことをよく思い出す。なんとなく、それを書き残し、いつか息子が読んでくれたら嬉しいなという新たな野心が芽生えてしまった。

もしかしたら、他人にはおもしろくもなんともない、僕の楽しかった少年時代のことをしばらく書くかもしれない。てか、書きたい。

 

ブログは自由帳ってさとうさんが言っていた。本当にそうだ。時間を忘れるぐらい、遊ぶことができる。

 

ではでは。