だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

親父と息子の間にいる父という僕の存在について考える

 

まもなく「父の日」。

子どもの頃、そんな日を気にしたこともなかった。そう、「母の日」ほど「父の日」というのは影が薄い。まあ、そんなことはどうでもいい。なんとも、ややこしいタイトルをつけた。何か、哲学っぽい響きがあるが、今回も降ってきたタイトルだから逆らわない。

 

僕の父がとてもロクデモナイ人だったことは何度も書いている。

 

pinewood13.hatenablog.com

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 読んでくれました? ねっ、ロクデモナイでしょ(笑)

 

じゃあ、ロクデモナイ父親から学ぶことはないのか、というと、そういうものでもない。人生に無駄はことは1つもないのさ。これ僕の哲学、ありふれているけど。

 

もちろん、元やくざ、薬中、前科者、そしてアル中の親父が、

「よいかPINE、これからの人生という荒波を超えていくために知恵を授けよう」

と言って、説法をするようなことは1度たりともない。ただの飲んだくれ。クダヲマクダケ。

 

ましてや、子どものしつけや教育なんて、ヒトカケラも興味がなかっただろう。なんつたって、中学中退な自分大好き人間だから(自称)。

 

やばい、やばい。

 

また親父と僕の話になっていく流れ。ひとまず、流れを変えよう。

 

今回、書きたいことは、そんなロクデモナイ親父の下で育った僕が、父親の役割として、自分の息子に対し大切にしていること。なんです。

息子としての僕ではなく、父としての僕の考えていることを書きたいのさ。

 

僕が父として、もっとも大切にしていること1つは、

 

仕事をしていること

 

えっ、って感じですか?もっとすごいことを言えよ。って。でも、僕にとっては、この至極、当たり前のことをとても大切にしている。

 

世の息子たち、お父さんが毎日仕事していることに感謝してるのか?

それは、とてつもなく尊いことなんだぞ!すごいことなんだぞ!

 

仕事をするってのは、お金をたくさん稼ぐことが大事って話ではない。その言葉通り、仕事していることを僕は大切にしている。もちろん、稼ぎが多いに越したことはない。でも、そうじゃなく、父親が毎日仕事をしている姿が大切なのだ。くわえて言うなら、楽しそうに仕事をしている姿を見せることができたら、なお良い。

 

僕の親父は30代後半から漁師をしていた。お酒を晩酌程度にし、真面目に仕事をしている親父の姿を見ているのは、とても好きだった。大漁の日の生き生きとした顔、太陽の下で網仕事をしている顔、一緒に漁に出た時に見る逞しい顔、それらは僕を幸せな気持ちにした。楽しそうに仕事をしている時の父親の姿って、知らない間に息子にとても強い影響を与えているような気がする。そう、息子は親父の背中は見ているものなのさ。

 

でも、それは1~2か月程度しか続かない。その後は、飲んだくれな生活に変わる。まるで、ボロ雑巾のように部屋に転がっている親父を見ると、いつも裏切られたような気持ちになる。あのキラキラしていた親父はなんだったんだって。

 

この裏切られるような気持ちって、アル中の父親を持った子供たちは、たぶん、みんな感じたことがあると思う。信じて、裏切られ、信じて、裏切られ、そして裏切らることに慣れていく。

 

でも、親父がそんなだったからこそ、父親が仕事をしているってことが、どれくらい家族にとって大切かを身に染みて感じている。

 

時代は変わった。確かにそうだ。共働きであったり、母親が働いて父親が専業主夫であることも多い時代だ(もちろん主夫も大事な仕事だし)。それでも、言いたい。父親がちゃんと仕事をすることは、息子にとても強い影響を与えると。

 

だから、僕はちゃんと仕事をすることを一番に大切にしている。しかも、いつでも楽しそうに。息子は、「家族の中で、お父さんが一番楽しそうだよね」と言う(笑)

 

 

 

そして、もう1つ。これから先の息子に対しての父の覚悟として、

 

悪いことをしたら本気で怒る

 

これも、大切にしていることと言うには、あまりにも拍子抜け。僕も、文字にしたら、なんか恥ずかしくなってきた、ははは。覚悟するほどのことか。

 

このことを大切にしているのには、もちろん、理由がある。また、昔話をさせてもらうよ。

 

あれは中学3年の春くらいだったかな。ぼくら、ちょい悪い仲間5~6人で万引きをしていたの。けっこう常習犯だったと思う。もう時効ね(笑)

友達の一人がヘマをして、学校にバレちゃったことがあった。僕らは学校に残って、これでもかってくらい怒られた。もちろん殴られもした。その時の担任の先生は、唯一好きな先生かもしれない。でも、ひねくれていた僕は、先生に怒られても、ヘマしちゃったなって程度にしか思ってなかった。

夕方になり、両親に連絡がいった。立たされて親を待つ僕は、どんな言い訳をしようかと考えていたと思う。

突然、ドアが開いた。すごい形相の親父が入ってきた。そして、いきなり全力で殴られた、隣の友達も。そして、涙ながらに僕らを怒鳴った。何を言われたかは覚えていない。たぶん、少しお酒も入っていたことだろう。でも、親父の本気は伝わってきた。そこから、僕は涙が止まらなくなった。なんなんだろ、本気って、こたえるんだよね。

 

後にも先にも、親父が学校に来たことはあれだけだ。そして、殴られたのもあれだけだ。だから、忘れることができない。もちろん、それから今まで万引きなどしていない。そんなん、当たり前か(笑)

 

あの時の、親父の本気は、今でもしっかり僕の中に刻まれている。親父から教えてもらった本気を、いつか息子に対して使う日が来るかもしれない。もしかたら、刺し違えることも覚悟で、ぶつかることもあるかもしれない。

でも、本気で向き合った時にしか分からないことを知る僕は、何も怖くない。これは、ロクデモナイ親父から学んだ、父親として息子に対する覚悟である。

 

息子よ、いつでも、かかってきなさい。はははは。

 

結局、親父の話になっちゃった。

 

 

なんだかんだ言っても、僕の息子に対する姿勢には、親父の影響を受けている。いろいろな形で。

もしかしたら、僕がちゃんと息子と向き合うことが、親父の生きていた意味につながるかもしれないと、少しだけ思った。