だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

箸が転がっても褒める、それが僕の哲学

 

少し前の話であるが、高校の同級生が単身赴任先の大阪から遊びに来た。(家族は福岡)

かれこれ、10年以上ぶりである。

最後は、確か、僕の結婚式ではなかったろうか?

まあ、最後にいつ会ったかなんて、誰にとってもどうでも良いことなので、

思い出す手間は省いてしまおう。

 

彼はAB型の一人っ子の特徴なのか、わりと現実的に物事を考えるタイプである。

AB型の一人っ子にそんな特徴があるかどうかは知らんけど。

学生時代、甘っちょろい僕が何の考えも計画もなしに、

「俺、留学したいんだよね」

と彼にポロっと言ったことがあった。

その言葉に、彼は

「お前が留学して、なんの意味があるの?」

と即答返しした。

あまりにも、的をついた発言に僕はグゥ~の根もでなかった。

おっしゃる通りでございます。お金もやりたいこともない僕が留学しても何の意味もございません。わずか、30秒で僕の留学計画は白紙に戻った。いや、もともと白紙だったのか。

 

そんな彼も48歳、大手ゼネコンの経理課長だかその上だかを任されているらしい。

大阪という町が水に合わないのか、管理職というプレッシャーからなのか、部下の悪いところばかりが目につき、人格も含めて攻撃してしまうことに悩んでいた。

基本的に、人を公平に見れる人間であり、人のことを責めるタイプの人間ではないので、その話に僕はいくらか驚かされた。

そんな自分を責めてしまい、不眠になり、病院で薬を処方してもらっているようだ。

だから、我が家に来た時は少し落ち着いたおり、昔のままの彼だった。

 

 

同級生なので、悩んだりしても相談するなんてことはお互いしない。そんなもんだ。

だから、この時も、彼は僕にただ話したかっただけと思う。同級生の良いところは、素直に自分をさらけ出せることだしね。

もちろん、その悩みに対する答えなど僕は持ち合わせていない。

とはいえ、ふむふむと聞いているだけではつまらない、少しだけ自分の考えもぶちかましてみた。

 

良いか悪いかではなく、僕は基本的に人を褒める。とにかく褒める。

東に髪を切った人がいれば、「若返りましたね。素敵になりましね」と褒め走り、

南に笑顔の素敵な人がいれば、「100万ドルのスマイルですね」と褒め走り、

西に素敵な黄色のシャツを着ている人がいれば、「キーレンジャーより黄色が似合いますね」と褒め走り、

北に上司からお褒めの言葉をもらった人がいれば、「ゴマ擦りの技もさらに磨きがかかりましたね」と褒め走るくらい、人を褒めところを探している。

 

最初は「うざい」、「うそくさい」、「なんか褒められているのか、けなされているのか分からない(これ正解)」、「高田純次か」、などなど、どこの組織に属しても良い評判をもらうことはないのであるが、人というのは段々と慣れていく動物である。

 

時間が経つにつれ、「いつも、気にかけてくれてありがとうございます」とか、「よく、そんなにいつも誰にでも声掛けれますね、感心します」とか、「なんか、褒めらてるような気はしないんだけど、嬉しくなるんだよね」と良い反応が返ってくるようになる。

 

たいした経験をしているわけではないが、人のことを褒め続けて、悪い関係になったことがない。

いつも気持ちを込めなくてもいいし、嘘っぽくなってもいいし、半笑いでもいいから褒める。本当に些細なことでいいから褒めるのだ。すると、自ずと道は開けるのじゃ、ははははh。

 

ということを、彼に話した。

 

あれ以来、会っていないから、今どうしているか知らないし、知ったこっちゃない。

けど、友達だから元気でいてほしいものだ。