酒に溺れている親父の可能性 ~信じるか信じないかは僕しだい~
ブログに記録を残したいなとまた思ったのは、今回も親父の件。つくづく、ブログを書かせたいらしい。おもしろい話ではないけど、『だんだんな気持ちで淡々と暮らす』のリスタートはここから始めたい。いつまで続くか分からないけど、あはは。
ふとした時に、ある可能性が頭をよぎり、それが確信に変わっていく。って経験は誰しもあると思う。それを書きたい。
親父はひどくお酒に溺れるタイプということを、ずっと昔に書いた気がする。いわゆるアル中でっす。これこれ、
これ以上飲み続けると死にますよってところまで飲んでいた。いや、それでも飲んでいた、そしてほぼすべての臓器がその機能を十分に果たせなくなっていた、ほんとバカだね~。ようやく止めることができたのは、体がお酒を受けつけなくなった時、なんとも男気がある。
親父はお酒を飲んでも暴れるタイプではなく、とにかく倒れるまで飲み続けるタイプだ。お酒の自動販売機の間で隠れるようにワンカップの空き瓶と一緒に転がっていたのは、今でも弟と語り草になっている。
ずっと、このような親父に対し、なんと愚かな人だ。としか思っていなかった。
話は変わるが、少し前に親父のことを弟と話していると、実は親父は覚せい剤の売買だけでなく、親父自身も使っていたという事実を知った。どうも、まだ小さい弟の前では、自分の体に打っていたようだ、腕には注射痕があったらしい。
そういえば、覚せい剤取締法違反で逮捕されたことも、前にブログに書いたな、そうこれこれ。
その時は、「へえーそうだったのか、知らんかったわ」ということで終わっていた。でも、頭の片隅にそのことは引っ掛かっていたのかもしれない。
それからしばらくして、クスリと芸能人の記事をネットで目にした。一度クスリに手を出すと、止めてもまた手を出してしまうというようなことを書いていた。でも、親父は罪を償って以降、手を出すようなことはなかったよなー。
この時にある可能性が頭をよぎった。今まで考えたこともなかったことが。
もしかしたら、親父は覚せい剤からの誘惑をお酒でかき消そうとしていたのかもしれない。
そうだったのか!それに気づいてあげれなくてゴメン親父、、、なんて思いがあるわけではない。あの頃、その可能性を知っていたとしても、僕に何ができたということはない。たぶん、まったく同じ。親父に怒り、嘆き、そして呆れるだけ。
しかし、今は、愚かにしか見えなかった酒に溺れる親父を、ギリギリのところでこれ以上家族に迷惑をかけれないと頑張っていたのかもしれない、弱い自分と戦っていたのかもしれないと思えるようになった。そんな可能性を信じることが大人になった僕はできるようになった。弟に、「それは甘いな」と言われそうではあるが、あはは。
そんな甘い可能性を信じれる自分も悪くない。な~んて思っている。
じゃんじゃん。