だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

高2男子が失恋から学んだ役にたたない教訓③

だんだん、個人的にはのってきている。『役にたたない教訓』として残そうという着地点が見えてきた。

のってきている時というのはペンが進む。僕は、このような自分の過去を振り返るような文章を書く時って、必ずノートや紙にだぁ~~~~ってラフみたいな文章を書くんだけど。この前は山登りに行く電車の中でも、通勤中の人に囲まれながらニヤニヤとペンを進めた。

のっているからと言って、おもしろいかどうかは別物であるので悪しからず。

 

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では、前回のおさらいから。

 

その女の子からの相談から始まった。 

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 そして、二人で遊びに行って、その女の子の家に招待される話。

pinewood13.hatenablog.com

 では続き書きます。

 

とうとう、その女の子のおうちに行く日になった。僕の家から約30キロ離れているおうちに列車(電車は走っていない)とバスを乗り継いで向かった。バス停にはその女の子が迎えに来てくれた。

その日は学校もないから、たぶん日曜日だったと思う。その女の子のお母さんと弟くんが快く迎えてくれた。日曜日だったけど、お父さんはいなかったのでホッとしたのを覚えている。

簡単な自己紹介や、お互いの家族の話などをしばらく話した後、今回の目的である弟くんとのキャッチボールをすることになった。弟くんはとても素直ないい子だった。弟くんに気に入られようと取り入る腹黒い僕も、単純にキャッチボールを楽しむことができた。

キャッチボールをしている間、お母さんとその女の子は昼ごはんを用意してくれていた。チャーハンとコンソメスープだった。それは、とっても普通のチャーハンとコンソメスープであったが、ここでも腹黒い僕は「うまいうまい」ともりもり食べた。

ごはんも食べ終わり、その女の子の部屋を見せてくれるということで2人で部屋に向かった。お母さんは僕らが2人きりになることに対し特に気に留めることもなく、「ゆっくりしてってね」と言ってくれた。自慢ではないが、この頃の僕は、男女問わず、友達の御父母から不思議と信用され気に入られることが多かった。それまでの人生は、大人から嫌われる代表的な子どもだったのに、人生分からないものだ。ところ変わればだな。

その女の子の部屋には炬燵があった。2人でこたつに入って、学校のことや、共通の友達のことやらを話した。そうこうしていると、あるあるの流れで、その女の子の中学の卒アルを見せてくれることになった。その女の子は、立ち上がり、炬燵から出て、本棚から卒アルを取り出し、僕の隣に座った

卒アルが登場する前と登場した後では、状況が変わりました。さてどう変わったでしょう?勘の良い方には愚問だったかもしれない。

そう、その女の子は卒アルを持って、僕が座っている炬燵の1辺の隣に入ってきたのだ。炬燵には4つの辺があるにもかかわらず、1つの辺に2人で肩と肩がくっつくように座ってきたのだ。そんなとても狭い窮屈な状況に対し僕は、

「ちょっと待って、炬燵は4つの辺があるよね、加えて、ここには僕と君にしかいない。5人いるならともかく、なぜ1つの辺に2人で座らなければならないんだ。残りの3つの辺の存在意義はどうするんだ!」

なんて数学的かつ哲学的にこの窮屈な状況に対し異論を唱えれるわけもない。

僕は普通の高2男子であり、気になる女の子と炬燵の1辺に2人で座って卒アルを見る以上のハッピーなことを知る由もなく、ただそのなんとも形容しがたい幸福感に身を沈めるだけだったのさ。

 

後にも先にも、炬燵がこれほど素晴らしいと思った経験はない。炬燵よありがとう。

 

高2男子へおじさんからの役にたたない教訓を贈る

 

●たとえ炬燵の1辺に気になる女子と2人で座っても浮かれるな

●お母さんや弟くんに気に入られたからといっても恋がうまくいくとは限らない(当たり前)

以上。

 

 

ここでその女の子からの最初の相談のことを思い出した。お母さんとおばあちゃん(父方)がうまくいっていなくて家の中がギクシャクしているという。

もしかしたら、あの日にお父さんがいなかったのは、お父さんとお母さんがおばあちゃんのことでギクシャクしていたからだったのではないかと、今さらながら思った。ほんと、30年前のことを今さらなんだけど、あはは。