だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

ワクワクするってこと

「ワクワクすることだけやればいい」「ワクワクすればお金がついてくる」なんてタイトルが本屋にが並んでいるのを見ては、「なに言ってんだか、ははは」とか、「ワクワクしてお金がついてくるか」とか、「そもそもワクワクってなんなんだよ」とか、って突っ込みを入れやすいタイプの人間である。でも、ワクワクすることに興味津々な自分がいることも知っている。

だいたいが、「ワクワクする」ってどんな気持ちなんだろう。うちの所長が、デイサービスでお客様のトラブルが発生しその対応する時に、自分を鼓舞するためか知らないが、「ワクワクしますね」なんてことを言う。が、これは明らかに本来のワクワクするという意味ではないことは明らかだ。顔がワクワクしていない、あはは。

そんなんだよね。大人になると、ワクワクするって気持ちじたいが鈍くなってきているような気がする。子どものころって、探さなくても至る所にワクワクすることがあった。100円玉を持っただけで駄菓子屋のあれとあれを食べに行くぞ~~とワクワクし、紙芝居を見ては水あめがなめれるゾ~~とワクワクし、ラムネにビー玉が入ってるぞ~~とワクワクしていたものだ。思いつくのは、食っちゃ、飲んでだけだな。まあいい。

それが、最近ではワクワク探しの旅にでも出掛けないと、ワクワクなんてお宝は見つからないような日々を送っている。まあ、旅にはでませんが。。。しかし、久しぶりにワクワクという気持ちが僕の心の中に突然あらわれた。

昨年の10月くらいから僕は登山にはまりだしている。これからは、冬になるので山は一時お休みのつもりだった。のであるが、ある気持ちが僕の中でドンドン膨らんでいった。それが、「雪山に登りたい」である。日に日にその思いは膨らみ、とうとう冬用の道具をそろえだしてしまった。

最初に買った冬用の登山服に袖を通し鏡の前に立った時、これから始まる僕の雪山ライフに心が喜んでいるのが分かった。間違いなく、これがワクワクするという気持ちだ。久しぶりの気持ち過ぎて、その気持ちがなんなのか最初は分からなかったほど本当のワクワクから僕は遠ざかっていたのだ。

という、自然に沸き起こった僕のワクワクしだしたお話でした。もちろん、雪山に登ることにワクワクしているからといって、「ワクワクすることだけしていれば良い」とも思ってないし、「ワクワクすることをやっていればお金がついてくる」とも思ってはいない。あたりまえだ。