だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

母の言葉がとても痛快だった話

母は21歳の時に僕を産んだ。

僕が小学5年生の時は32歳だったわけだ。

僕の息子が5年生の時、つまり昨年、僕は49歳だった。

僕の母は49歳でおばあちゃんになった(弟に子ども誕生のため)。

そうか~、僕もおじいちゃんと呼ばれていてもおかしくないのだ、さすがにその準備はまだできていない(笑)

 

僕が小学5年生の時の担任の先生は30代の女性だった。

細くて体が薄っぺらい割に、肩が張っていたので、陰で僕らはジャミラと呼んでいた。

f:id:pinewood13:20210422221138j:plain

(子どもだったので許してほしい、子どもは時にとても残酷になれるものだ。今は身体の特徴で人のあだ名をつけたりは絶対しないので。)

 

ここからは分かりやすくするため、その先生のことをジャミ子先生と書かせていただく。

ジャミ子先生はとてもヒステリックな30代女性であった。今風に言えば、すぐにキレていた。キレると甲高い声で吠えまくった。それはジャミラが口から炎を吐くようだった。

 

f:id:pinewood13:20210422221505j:plain

 

僕たちは生徒であり、また子どもだったので、先生が炎を吐いている間、ただ耐え忍ぶしかできなかった。

一通り吐き終わり、先生が消えた後、ちょっと大人びた女子が「よっぽど旦那とうまくいってないんだ」なんて、分かったようなことを言っているのを聞いてみんなでワイワイと喜んでいたものだ。

 

そんなある日、何をしたか忘れたが、ジャミ子先生のヒスの炎が僕に向かってきたことがあった。まあ、たぶん僕が何か悪さをしたのだろうとは思う、何かは全く覚えてないのだけど。

甲高い声で一通り怒られた後、最後にジャミ子先生はこう言ったのだ。

 

「こんなことするなんて、親の顔が見てみたいわ」

 

と。

悪さをしたのだから、僕が怒られている分にはしょうがないとお説教を聞いていたのだが、、、最後の一言は解せない。なにか親を侮辱されたようで、とても腹が立った。そして、なぜか悔しかった。不思議なもので、あの気持ちは今でもはっきりと覚えている。

 

とても腹が立ち、悔しかったのだろうか、僕はその一連のことを母に話してしまったのだ。母も「えっー、あの先生、そんなこと言うの」と驚いていた。が、僕が親を侮辱されたようで悔しかったということを聞くと、嬉しそうな顔をしていた。

 

それから、どれくらい日にちが経ったのかは覚えていないが、学期末の三者面談の季節になった。三者面談とは先生と親と僕、3人で学校や家での状況を話したり相談したりする機会である。知ってますよね。

ジャミ子先生は、いつになく飛びっきりのスマイルで母と向かい合い、早口で僕の学校でのことを一通り説明した。

そして、「何か気になることありますか?」と母に質問を投げかけた。すると母は、

 

「1つ気になることがあって、息子が先生から怒られた時に『親の顔が見てみたいわ』って言われ、とても悔しかった。ということがありまして、それは本当でしょうか?」

 

えっ~~、それこの場で言う???と、突然、僕はなんとも落ち着かない立場になってしまった。ジャミ子先生は、

 

「あっ、あれは、あの~、まあ、なんですよね。PINE君に、良くないことをしたってことをですね、あの~、しっかり分かってもらうためにですね、あの~、出た言葉でして。あの~」

 

と、引きつった笑顔と隠し切れない動揺とともに、苦し紛れの言い訳を続けた。母は淡々とその言い訳を一通り聞いた後、「そうですか、分かりました」と、あっさりとその話を終えた。先生も、何かホッとした顔をして、すぐに話題を変えた。

その時、僕は、母の言葉にドギマギしながらも、子どもの仇をとってやろうとしていたのだろう母をとても頼もしく感じた。そして、僕のあの悔しい気持ちを覚えていてくれたことが素直に嬉しかった。

 

 

僕も息子ができ、あの時の母と同じ立場になった。

もし、息子が学校の先生から理不尽なことを言われたり、されたりしたら、いつでも出動する準備はできている。

幸いなことに、今のところ、まだ、出動の指令はでていない。