だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

【デイサービスの話】きちんと生活するってこと

これからの未来を想像してみた。

もちろん、明るい未来しか思い浮かばない。んだけど。

何が起こっても、前を向いて生きていける自信もある。し。

でも、、、これが起きたら前を向けないかも、、、ってことがあるのも分かってはいる。

 

 

僕はデイサービスで働いている。

作業療法士という資格を持って、じいちゃん、ばあちゃんのリハビリをしているのだ。

リハビリって、じいばあちゃんと二人きりになることが多い。

そのせいか、ポロリと、たぶん誰にも言うつもりもない言葉を漏らすことがある。

 

「息子の余命を言われちゃったよ」

 

96歳になるおばあちゃんが言った。

息子さんが胃がんの手術をされ、体調は悪いとは聞いていたけど、そこまでとは知らなかった僕は、

「そうなんですか」

くらいしか言えなかった。

 

「腎臓も悪くなっているらしくてね、足がパンパンに腫れちゃって見てられないよ」

「わたしの腎臓をあげると言ったんだけど、無理らしいんだ」

 

僕たちは、ばあちゃんのペースに合わせながらゆっくりと歩いた。

その足どりは、いつもより重たい。

なんとなく、間をもたすために、ごはんは食べれてるのか、ちゃんと眠れてるのか、なんてことを話しながら歩いた。

話しながら、歩きながら、思うところがあったのか、

 

「でも、生活はしていかなくちゃいけないからね」

 

と、それまでより、はっきりとした声で言った。

そだね、食べないといけないし、眠らないといけなし、もちろんトイレにもいかなくちゃいけない。どれも、できなければ生きてはいけない。

生きるってことは生活するってことで、もしかしたら、その生活するってことが深い悲しみの中でも生きていける力をくれるのかもしれない。

 

きちんと生活してきた、生きてきた、大正生まれの女性が覚悟を決めた横顔は、大げさではなく美しいと僕は思った。

 

今日も、ばあちゃんは、デイサービスに来て笑いながら体操してる。すげーなー。