だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

【母】両親を介護するということ③

つづき

 

決断する。すると、前に進む力が生まれる。そのことが分かるまで、ずいぶん時間がかかった。決断とは、断つことを決めることなのだ。そう、何かを断ち切らなければ前には進むことは難しいのだと、僕はようやく分かった気がする。

 

 

実家に帰ったその日の夜、カミサンに連絡していないことに気づいた。父がいる部屋から離れ、電話をした。母の様態を説明しながら、また涙が止まらなくなった。それは母がいる病室の時と違い、あたり構わず泣き散らかすものだった。もう、心にあるぐちゃぐちゃした物が溢れだしてくるように。息子の「お父さん、大丈夫?」という声が聞こえてきたが、嗚咽は止まらず、うまくその声掛けに応えれない。それなのに、電話を切ることもできなかった。暗闇の中で一人ぼっちになんてなりたくないのだ。それは大人も子供も関係ない。

電話で、妻は「PINE(僕)が好きなようにしていいから」と言ってくれた。たぶん、妻もあまりにも突然なことで、何を僕に言ってあげたらいいかなんて分からなかったのだと思う。それに、実際にこの状況を目の当たりにしているわけではないのだ。TVからでは戦場にいる人の気持ちは分からない。最初に母が倒れたと弟から電話が掛かってきた時、僕はまだ現実を受け入れ切れていなかったのだと思う。

妻との電話を切った後、両親のこれからのことを決めるのに相談する相手はいないよなと感じた。弟は頼めば助けてくれるが、これからどうするかは完全に僕頼みだ。母の兄弟・親戚たちもまったく当てにはできない。それは、母が兄弟や親戚とのつながりを大事にしていなかったからだろう。いまさらしょうがない。

泣くのは今日で終わりだ。もう十分に母が倒れたことに対して後悔の涙は流した。それに、なんで自分だけがという哀れな自己憐憫ももう有り余るほどした。もう、つまらない思いは断ち切っていくしかない。そう断ち切るしかないのだ。今起こっていることをすべてを自分自身が受け入れ、そしてこれから先の選択も自分が決めていくしかない。もちろん、その責任も僕がとる。それでいいのだ~(天才バカボンより)

 

あの時、かなり強い気持ちを持たなければ、行動を起こすことができなかった。でも、すべてを誰でもない自分でやってやると決めたことで、すぐに必要な行動をとることができたと思う。それとともに、誰かの小さな助けに対してでさえ感謝の気持ちを持つことができた。

決断したからこそ、前に進むことができたのだ。