だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

コロナ時代が明らかにした、父と息子、抗えない血のつながり

コロナウィルスの影響で小学校では多くの行事が中止になったり、縮小されたりしました。
ネガティブなことのほうが多かったのではないでしょうか。
それにもかかわらず、我が息子は
『マスクをしなきゃいけない時代で良かった』
と、前向きな発言をしたのです。
どんな状況からでも、前だけを向いていく息子に父は成長を感ぜずにはいられませんでした(涙)

違った、そっちの成長じゃなかった。

息子は成長するにつれ、僕に似てきたと言われるようになってきました。
その中でも、ひときわ目を引くのは小鼻です。

小鼻の上の向き方がそっくりなのです。
小鼻が上を向いている人はそろって同じ悩みを抱えているのはご存知でしょうか?
ご多分に漏れず、僕達親子もその悩みを抱えているのです。
そう、小鼻が上を向いている人達は、
「鼻毛が出やすい」という、その身体的特徴ゆえの悩みを皆抱えているのです。
成長し体が大きくなった息子もとうとう鼻毛がその穴からはみ出てしまう日が訪れてしまったのです。
それを発見してしまった僕は、息子のことをできる限り傷つけないよう、
『鼻毛出てるよ』
とサラリと指摘してあげました。
息子は、えっヤバいと顔をした後に、苦笑いを浮かべながら、
『マスクをしなきゃいけない時代で良かった』
と力強く言ったのです。
なんとも、鼻毛ごときつまらぬことに気にしない息子を父は頼もしく感じたのでした(涙)

息子の成長のお話でした、チャンチャン

ロクデモナイ親父のロクデモナイ話ベスト10

こんにちは、パインです。

久しぶりですね~。

 

もう1つ山とごはんみたいなブログを書いてまして(まったく人気はありませんけど)、そちら中心にブログってました(笑)

はっきり言うと、「だんだんな気持ちで淡々と暮らす」のブログのほうが個人的には好きですね。じゃあ、こっちのほうを書けばって話ですが。なんで書かないのだろうね?

人間なんて分からないことだらけだからってことにしときましょ。

 

なぜ、今回、久しぶりに筆を執ったかと言いますと。

今さらながら、はてなブログの10周年お題「○○10選」について書きたくなったからです。

書きたいと思いついたのが、11月25日、そう締め切りは過ぎてました、だめね~。

でも、書きたくなった体は、もう誰も止められない。

時間はかけたくないから、乱文になるかもですが、やってみよう!

 

「親父のロクデモナイ話ベスト10」

 

ずいぶん前に親父の話を書いたのだけど、それも含めロクデモナイ話ベスト10を個人的に決めたいという思いが沸いて来たのである。

もしかしたら、長くなるかもしれないし、面倒になってサラリと終わるかもしれない。

 

記憶があいまいだから、一部想像上の話かもしれないけど、9割5分は本当。

では、パインが選ぶ、記憶に残っているだけの親父のロクデモナイ話ベスト10

 

令和2年4月6日午前8時、偶数がキレイに並ぶこの日にこの世を去った親父のことを久しぶりに思い出してみよう。

行くぜぃ!!!

 

第10位

かもめ事件

 

正直、なぜあんなことを親父はしたのか疑問なんだけど、言葉にするのもウンザリするんだけど、書きましょ。

あれは小学生の何年生かの頃だった。

親父が運転した車で、母親の実家に向かう途中でのことだ。

僕の田舎は港町であり、船が停めてある岸壁がすぐそばにあった。

その船が着く岸壁沿いを車で走っていると、その道の上にトラックから落ちたのか魚が散乱し、それにたくさんのカモメが群がっていたのだ。

完全に道をふさいでいた。親父はカモメに対しクラクションを鳴らすが、カモメたちは微動だにしない。親父が段々とイライラしてくるのが分かった。

そして、親父はまさかの行動に出た。

そう、カモメの群れに向かって車を走らせたのだ。。。

逃げ遅れたカモメのうめき声が、車の下から聞こえてくる。

「ぎゃ~~~。」

僕は親父に向かって叫んだ

「なんしちょうだー(何をやっているんだ)」

すると親父は小学生の息子に向かって叫んだ

「おわに鳩を待てってーだか(俺に鳩を待てというのか)」

と。

恐ろしい形相の親父に対し、僕はそれ以上何も言えなかった。

僕は決して振り返らず、親父とともにおじいちゃんの家に向かったのであった。

 

 

第9位

刺青事件

 

僕の親父は10代の頃はとてもやんちゃで、右肩、右足に刺青があった。

もちろん、今どきのかっこいいタトゥー的なものではなく、いわゆる和もののもんもんってやつである。

子どもの頃はそれが嫌でたまらなかった。それは、こちらに詳しく書いている。

まあ、興味ある方は読んでみて。

 

pinewood13.hatenablog.co

 

まあ、それは置いといて。

あれは、いつだったかな。はっきりと覚えていない。

とにかく、僕はもうすでにいい大人になっていたのは間違いない。

風呂上がりの親父の上半身裸に違和感を感じたのだ

すぐにはそれが何か分からなかった。

それから数分後、その違和感に気づき、

「はぁぁぁ~~~~」

と、すぐにお袋にその違和感を問いただした。

「左肩に刺青増えていない?」

お袋はバツが悪そうにうなづいた。

こういうことだった。

僕の田舎町に腕のいい彫り師がやってきた時に、安くしとくからと誘われたらしい。

いやいや、どんなネットワークからその話くるのよ。

孫もできて、今さら、左右のバランスが悪いからって理由で刺青増やすかいな。

 

第8位

プロマイド事件

 

これも以前にブログに書いたな。

良ければ読んでね。

 

pinewood13.hatenablog.com

 

この事件は、20代の親父が上半身裸で自慢の刺青を露わにメンチ切っている写真をカメラマんに撮影してもらっていたことだ

撮ってもらっただけならまだいい。親父はそれを拡大し、台紙に挟み、まるで見合い写真のようにしていたのだ。

それはまさしく、親父のプロマイドである。

それを、本棚の奥から見つけたまだ幼い僕は、度肝を抜かれ、ガクっと肩を落としたことは間違いない。

この刺青のことで、幼い僕たち兄弟は、どれだけ嫌な思いをしたことか。

まったく分かってない親父なのだ。

「はぁぁぁあ~」である。

 

第7位

拳銃事件

 

これもブログに書いたので良ければどうぞ読んでください。

 

pinewood13.hatenablog.c

 

もうこの文章のままである。

一時、我が家には拳銃があったのだ。

もちろん、僕たちはアメリカに住んでいた訳ではないので、拳銃が家にあることは違法行為である。

まあ、ラリッていたのか、親父はこともあろうか、子どもに自分が持っていた拳銃を自慢げに見せびらかしたりしたのだ

このへんで、薄々気づいていただきたいのだが、うちの親は数々の違法行為をしている、いわゆる、一時話題になった反社会的勢力では人物である。

まあ、もう死んじゃったし、罪は償ったから、あまり責めないであげてほしい。

 

その拳銃が黄色い油紙に巻いてあり、ずっしりした重さがあったことをはっきりと覚えている。後にも先にも拳銃を持ったのはあの時が最後である。

当たり前だが、これからも持ちたくはないし、自慢げに見せられたくもない。

 

第6位

ヒモ事件

 

息子である僕が言うのもなんだが、親父は顔が良かった。今でいうイケメンである。

親父そっくりな弟が、学生時代、あっちこっちでモテモテだったことからも、親父もモテていたことは明らかだ。

 

あれは、僕が中学生だった時のことだ。

塀の中から帰ってきた親父が、塀の中で出会った東京にいる友達の家に遊びに連れて行ってくれることがあった。すいません、ややこしい言い方で。

友達の家に行く前に寄るところがあるとその相手に電話した。

公衆電話から戻ってきた親父は、まったく知らない町の、まったく知らない家の前に車を停めた。そして、そこには僕がまったく知らない綺麗な女の人が待っていた。

親父は車から降り、その女の人と話をし、何かを受け取った。

車の中から、僕の目はその受け取ったものをはっきりと確認した。

それは、1万円札の束であった。

たぶん、20枚はあったのではないだろうか。

もう中学生になっていた僕は、2人の関係は間違いなく大人な関係に違いないことを確信していた。

が、東京に行けるってことに浮かれていて、親父が浮気していようがしていまいが、心からどうでも良かった。どこ吹く風なもんである。

青春時代に入っていた僕は、とにかく大都会東京に行けるなら、なんだってやってやるぜって気分であった。

 

たぶん、典型的な見栄っ張りな親父は、友人への土産にいくらか包まないことには格好がつかないと考えていたのだろう。

まともな仕事もしていない親父はお金なんてなかったはずだから、その女の人からお金を借りたのかもらったのかしたのだろう。

しかし、息子の前でヒモっぽいことをやっちまうなんて、常識なんてどっかに捨ててきてやったぜな親父である

子どもの教育上よろしくないので、良いお父さんは絶対真似しないでください。

まあ、しないわな。

 

第5位

痴情の縺れ事件

 

これは5位にしたものの、親父のことってより、親父も含めたそのドラマのような場面がロクデモナイって話であり、とっても印象に残っている。

 

塀の中で出会った友達の家に泊めてもらった時のことである。

その家は、その友達とその母親が2人で暮らしていた。

はっきりと覚えていないが、公団の団地で3部屋あったと思う。

大人の宴は続いている中、退屈な僕は隣の部屋で先に布団に入った。

ウトウトしながらも、3人の話が聞こえてきた。

友「○○さん(親父)に会わしたい人がおるんよ」

母「こん子も、10人並みだから、いいと思ううんだけど、なかなか結婚できない」

みたいなことが。

母親は結婚してほしい、どうも友達は飲み屋のお姉ちゃんに入れあげている様子

親父はベロベロで話を聞いている。

そんなこんなで、僕は眠りに落ちてしまった。

すると、隣の部屋で誰かが叫んでいる。

「お前も殺して、俺も死ぬ」

そして、ベロベロな声で

「んまぁ~、うんまぁ~、しゅわれやい(まあまあ座れよ)」

と。

目が覚めた僕は、少しだけ開いている襖の間から隣の部屋を覗いた。

そこには、包丁を持っているその友達と30代くらいの水商売風の女性が立っていた。

そして、その間にはベロベロな親父がいる。

どういう流れで、こんなことになったのかは分からないが、一歩間違えば殺人現場である。

もちろん、殺す気なんてないから、その場は親父の

「しゅわれやい(座れよ)」

の言葉が効いたのか、すぐに2人とも座って、その場は落ち着いたようだった。

ここは親父のお手柄だったかもしれない。

しかしあれは中学生にはあまりにも刺激的すぎる場面だったので、記憶に鮮明に残っているのである。

なぜか分からないが、次の日、その女性の中学生になる娘さんと一緒に遊んだこともはっきりと覚えている。とってもかわいい女の子だったからである、あはは。

 

第4位

木刀事件

 

これは映像としてはっきりと覚えている事件だ。

まだ、小学生の低学年の頃じゃないかな。

まだやんちゃな20代だった親父は、兄貴と舎弟みたいな関係にとても憧れを持っているようであった。

我が家によく遊びに来ていたあんちゃんがいたのだが、そのあんちゃんはややお頭が弱かった。子どもの僕にもそれは分かるほどに。

ある日、そのあんちゃんがやらかしてしまったのだ。

何をやらかしたかは分からない。

そのやらかした話を誰かから聞いたほろ酔いの親父は怒り狂いだした。

それは、まさに鬼の形相であった。

すぐに、そのあんちゃんんを我が家に呼んだ。

窓からあんちゃんの姿を見つけるや否や、上半身裸で、そばに用意していた木刀を手にして、

「このガキャ―――(このクソガキがー)」

と叫びながら外に飛び出してた

びっくりしたあんちゃんは、踵を返し、すぐに逃げ出した。

逃げるあんちゃん、木刀を持って追いかける親父。

その様子を、「絶対に近所の友第にみられませんように」と祈ることしか僕にはできなかったのであった。

 

第3位

テレビに名前でた事件

 

地味であるが、ショックはかなりでかかった話。

このことは前にも書いている。

良ければ読んでね。

 

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親父はある罪を犯し塀の中に2年ほど入ることがあった。

それは小学校6年から中学2年の間の出来事で、もっとも敏感なお年頃であった。

僕らが暮らしていたのは、ちょっと歩けば顔なじみばかりいる、狭い小さな町である。

振り返ってみると、その頃の僕は心が病んでいたんだと思う。

小学生で胃が痛くて眠れなくなったりしているのを覚えているし。

とにかく、近所の人や、友達に親父が塀の中にいることを知られてはならないと気が張っていたのだ。

 

塀の中から帰ってきてすぐの頃、親父と一緒にテレビを見ている時のこと、ある事件の犯人の名前がテレビに映った。

青い背景に白抜きした名前と年齢がでる感じのやつ。

それを見た親父が自慢げに

「俺もテレビに名前がでたらしいぞ、新聞にも」

とこともなげにニヤニヤしながら自慢げに呟いた。

「はぁぁぁぁぁ~~~~」

である。

あの時の隠し通そうとした僕の頑張りはなんだったんだ~~~。

まあ喉元過ぎればなんとやらである。

絶対変わらない人がいるってことを学んだ瞬間でもありましたね、あはは

 

第2位

電話怖い事件

 

これもブログに書いているね。

 

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しばらく恐怖症だったよね、電話にでるの。

たぶん高校生になるくらいまで苦手だったと思う。

うちの親父はお金に本当にだらしなかった。

借金だらけ、さいごに土地家財産すべて失ったからね、あははバカだ、ああはなりたくないナンバーワン。

それは僕が幼いころからで、借金取りからしょっちゅう電話かかってきていた。

親父は居留守使うために、長男である僕が借金取りからの電話にでて

「お父さんはいません」

って言わなきゃならなかった、すぐそばにいるのに

小学低学年がヤ○ザな人から恫喝されるってのは思った以上に精神的に悪い。

良いお父さんたちは借金は作ってもいいけど、子どもに迷惑をかけちゃだめだよ。

こういうのって、けっこうな心の傷が残るからさ。

 

さて栄誉ある

第1位は

救急搬送事件

 

このこともブログに書いております。

 

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いやいや、いろいろロクデモナイ事件を起こす親父ですが、酒絡みがもっとも多いかな。その中でも、これが最高にロクデモナイかもね。

今でも、同級生にこのネタを話すとウケるからね、僕の財産だわな。

 

シンプルに言うと、酔っぱらって道端で寝ていた親父が救急搬送され、病院に迎えに行ったら、そこに立派な医師になっていた高校の同級生の女ん子がいたって話

その子は驚いた顔で僕に

「お父さん?」

って聞いてきたんだよね。その横で、酔っぱらった親父は車いすに座らされ、

「○○ちゃ~ん(僕のこと)」

と上機嫌に僕を呼んでいる。

なんとも、笑っちゃうしかない。

その後は、医師(同級生)から親父の病状の説明を受けたのだけども、情けないやら恥ずかしいやらだよね。

 

やっぱり、親父のロクデモナイ話では、これが一番かな。

ってことで、長々と、だけど一気に10選を書いてしまった。

書きたい気持ちが沸くってのは、親父が時々は俺のことを思い出せよって言ってるように感じる。

これも親孝行なのかもね。

 

乱筆乱文を最後まで読んでくださった、なんとも奇特な方々、どうもありがとうございました。

はぁぁぁ~~~気持ち良かった。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【デイサービスの話】きちんと生活するってこと

これからの未来を想像してみた。

もちろん、明るい未来しか思い浮かばない。んだけど。

何が起こっても、前を向いて生きていける自信もある。し。

でも、、、これが起きたら前を向けないかも、、、ってことがあるのも分かってはいる。

 

 

僕はデイサービスで働いている。

作業療法士という資格を持って、じいちゃん、ばあちゃんのリハビリをしているのだ。

リハビリって、じいばあちゃんと二人きりになることが多い。

そのせいか、ポロリと、たぶん誰にも言うつもりもない言葉を漏らすことがある。

 

「息子の余命を言われちゃったよ」

 

96歳になるおばあちゃんが言った。

息子さんが胃がんの手術をされ、体調は悪いとは聞いていたけど、そこまでとは知らなかった僕は、

「そうなんですか」

くらいしか言えなかった。

 

「腎臓も悪くなっているらしくてね、足がパンパンに腫れちゃって見てられないよ」

「わたしの腎臓をあげると言ったんだけど、無理らしいんだ」

 

僕たちは、ばあちゃんのペースに合わせながらゆっくりと歩いた。

その足どりは、いつもより重たい。

なんとなく、間をもたすために、ごはんは食べれてるのか、ちゃんと眠れてるのか、なんてことを話しながら歩いた。

話しながら、歩きながら、思うところがあったのか、

 

「でも、生活はしていかなくちゃいけないからね」

 

と、それまでより、はっきりとした声で言った。

そだね、食べないといけないし、眠らないといけなし、もちろんトイレにもいかなくちゃいけない。どれも、できなければ生きてはいけない。

生きるってことは生活するってことで、もしかしたら、その生活するってことが深い悲しみの中でも生きていける力をくれるのかもしれない。

 

きちんと生活してきた、生きてきた、大正生まれの女性が覚悟を決めた横顔は、大げさではなく美しいと僕は思った。

 

今日も、ばあちゃんは、デイサービスに来て笑いながら体操してる。すげーなー。

 

 

 

 

青春のど真ん中にいた友達の話

青春時代。その青さゆえに、時にぼくらはとても戯曲的になることがある。戯曲的とは、「自然にでたものではなく、意識してつくられた」って意味らしい。

 

高校時代の僕は人のことを、今風に言えばイジル、のが大好きであった。それは、一種の僕にとっての盾のようなもので、イジラれる前にイジルことで自分のイジラれる弱さから身を守っていたのだ。なんとも分かりにくい表現だこと。

50歳を目前に控えた今では、イジラれることに快感を感じらるようになった。もっと、俺をイジってくれ~~って思うほどに。なぜ、ティーンの頃(今どき言わないか)ってイジラれることを恐れていたのだろう。誰か教えてほしい。

 

高校時代、ジローというあだ名の友達がいた。頑張って思い出そうとするが、彼がなぜジローと呼ばれていたのか思い出せない。本名はまったくジローに関係ないのに。別の友達に清水という苗字だったから、ジローというあだ名をつけたことはあったが、彼はなぜジローを命名されたのだろう。不思議だ。

ジローくんは、ちょっと太めでいつもニコニコしている男子だった。みんなで歩いていると、一人息切れし汗をかいているような感じの。クラスに必ずいるような。

 

高校2年生の頃、一部の男子のあいだで大ブームを巻き起こしたのが「大富豪」であった。トランプゲームだ。朝は始業の1時間近く前には教室に入り、男子4~5人で机を囲んでいた。ジローくんも僕もその男子の一人であった。今思えば、早起きして「大富豪」やっているなんて、とっても健全で豊かな時間なんでしょう。

たかが「大富豪」なのだが、始まりだすと、その場は熱を帯びだす。ちょっとした罵り合うような言動も時には生まれる(その中心はわたくしなのであるが・・・)

そう、あの日もそうだった。その日はジローくんが調子良く勝っていた。彼はとても穏やかな平和主義であったので、「よっしゃー、俺がナンバー1じゃ、ボケども」なんてことを口にすることはなく、「今日はついているね、あははは」と謙虚界のカリスマだった。そんなジローくんに対して、「蛇のようにネッチコイ」と呼ばれていた僕は舌をペロペロだしながらグチグチと愚痴をぶつけだした。どんなことを言っていたかは覚えていないが、よっぽどなことを言っていたのだろう。

いつも通り、ジローくんは笑いながら、そんな僕の心ない言葉を聞き流していた。のであるが、突然、持っていたトランプを机の上にバシンと投げつけ、「もう止めた」と叫んだ。僕は動揺をした。完全に僕のグチグチ愚痴に怒っているのは分かっていたからだ。でも、あえて、冷めた口調でジローくんに「何、怒ってんの?」と。するとジローくんは、僕の胸に人差し指を刺して、こう言ったのだ。

 

「お前の胸に聞いてみろ!!!」

 

と。

後にも先にもこんなに青春な言葉を言われたことがない。そう、あの頃、間違いなく青春のど真ん中にジローくんも僕もいたのだ

 

その日、ジローくんは調子が悪いと早退してしまった。申し訳ないと感じた僕は、謝ろうと、学校帰りに彼の家に向かった。道路に面した彼の部屋の窓は空いていた。僕はピンポンも鳴らさず、彼の部屋に向かった。近づくにつれ、何か叫んでいるような声が聞こえてくる。僕は恐る恐る、彼の部屋を覗いた。すると、そこには尾崎豊の「17歳の地図」を派手なアクションをつけながら熱唱するジローくんがいた。言うまでもなく、見なかったことにして僕は彼の部屋を後にした。。。いまさらジローであるが、あの時はごめんね。

 

ジローくんはどんな誰よりも青春のど真ん中にいたというお話でした。

デートに谷村新司のコンサートに行った友達の話

この前、高校の同級生の大山くん(仮名)のことを書いたら好評だったので、えっ誰に好評だったかって?、そりゃもちろん、奥さんにです。内輪ウケ最高!

なので、またまた大山くんのことを書きます。

 

 

大山くんは、モトリクルーというアメリカのバンドが好きな少年だった。

「モトリクルーってすごいんだぜぃ、ドラムが回転しながら叩くだけん。」

曲が好きというより、彼らのパフォーマンスに心惹かれているようだった。そうそう、YOSHIKIがいるXも大山くんから教えてもらった。Xがまだ売れてない頃からチェックしていた。さすが大山くんだ。

「Xってバンドがあんだけど、火を噴くんだぜぃ」

と、これまたパフォーマンス優先にバンドの説明をしてくれた。

 

大山くんの音楽観は若干ふつうの高校生とは違っていたかもしれない。音楽性は後回しで、いかに度肝を抜くパフォーマンスをするかが、大山くんの評価基準だった。

 

そんな大山くんであるが、その音楽性に惹かれた一人の日本人歌手がいた。

それが、谷村新司ある。

クルリと回るドラム、火を噴くYOSHIKIと並んで、昴を歌谷村新司をこよなく愛していた。そんな彼が、

 

「今度、女の子と谷村新司のコンサートに行くんだ」

 

という、高校生としてはなかなか渋いデートをすることになったらしい。その女の子は小学中学の同級生で、まあ彼女ってわけではないってことであった。がしかし、満更でもない表情の大山くんだった。

高校生の女の子が喜ぶかどうか微妙な選択ではあるがこれも仕方ない。確かに田舎の町に、アイドルや人気バンドが来ることは稀であり、来るのはピークを過ぎた往年のスターくらいのものだ谷村新司はかなり当たりの部類に入るのかもしれない。まったくもって、失礼な話ではあるが。

 

そんな話題性の高いネタではあったが僕らは高校生、日々展開される様々な出来事の中で、大山くんが谷村新司コンサートに女の子と行くことなんてのはすっかり忘れてしまっていた。

 

そんな折、大山くんが楽しそうなというか、ニヤついているというか、いいネタありまっせって顔で僕らのところに近づいてきたかと思うと。

 

「おうおう、この前、谷村新司のコンサートに行ってきたわ」

と大山くん。

そんなことすっかり忘れていた僕らであったのだが、谷村新司の名前を聞いてあの日の記憶がよみがえり、一気にぼくらは盛り上がった。

 

「おぉ~、それでそれで、どうだったの?」

 

「いや~それが、彼女調子悪くなって、一緒に行けれんかったわ」

 

「やっぱりな、最初からその女の子行きたくなかったんやろな。」と口にはしないものの、僕らはみんな思っていた。そうそう谷村新司興味がある高校生の女ん子はおらんやろ、大山くん残念やったね。先走っちゃったね。

しかし、その後、大山くんは僕らの貧弱な想像力を遥かに超えることを言ったのだ。

 

「代わりに、その女の子のお母さんと行ってきたわ」

 

 

えっ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ぇ、そんなんあるの~~~~んか~~~い。

いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや~~~~~~~ん。ばか~ん。

 

思わぬ展開に、みんな度肝を抜かれた。そして、

 

大大大爆笑

 

大山くんによると、

その女の子の家に迎えに行ったら(狭い町なので、ご近所さんなのだ)、お母さんが出てきて「○○ちゃん、調子が悪いって寝てる」と言われたそうだ。まあ、そこまでは良いとしてだ。したら、

チケットもったいないし、わたしが一緒に行ってもいい?」

とその女の子のお母さんに言われたそうだ。ご近所さんであり、檀家さんである、そのお母さんの嬉しい申し出を断ることもできず、2人で谷村新司のコンサートに行ったということであった。

 

 

 

この話もどこまでが本当で、どこまでが妄想か分からずじまいだ。もし、妄想だとしてもとてもおもしろい話だ。今だに僕の記憶にしっかり刻み込まれているんだから。

 

 

 

 

 

妄想癖が強い友達の話

高校時代の友達に大山くん(仮名)という人がいる。彼は地元の由緒正しき禅寺の息子であった。まあ、寺の息子だからといって、いかにも寺の息子って感じではなく、ただのヘビメタ好きのナルシストである。そう、彼は自分のことをとてもかっこいいと思っている節があった。

 

「なんかさ、バス停で会う女の子が、どうも俺に気があるみたいなんだよな」

と、なんとも嬉しそうに言ってきた。聞いていたのは、僕と田村くん(仮名)。3人でよく遊んでいた。

田村くんはわりと冷めた感じであったが、やっぱりそこは高校生、その手の話は食いつきがいい。

「なんでなん?」

と聞くと。

「いやね、バス停で良く目が合うのよ。」

ほうほう、それだけで自分のことを好きと思ってしまえる大山くんはすごい。彼ほどの思いこめる人を今だ見たことがない。

 

話は変わるが、僕らが高校生の頃はバンドブームだった。しっかりその波に乗っかっていた大山くんはデランジェというバンドが大好きだった。中でも、ギターの人が好きだった。ギターはサイファという名前で呼ばれていた。彼は、

「俺、子ども生まれたら、絶対サイファって名前にするぜ」

と言っていた。もし、彼に子どもが生まれていたら、「元祖キラキラネーム」の父としてもてはやされていたことだろう。しかし、50歳になるが、彼に子どもができたという話は聞いていない。それ以前に、結婚もしていない。

何が言いたいかというと、思い込みが強いのである。

 

「大山くんは、その女の子のこと、どう思っているの?」

と僕ら。

「いや~、けっこうかわいいし、いいな~って思ってるの」

と、大山くん。

「じゃあ、声掛けてみたらいいんでないの」

 

彼は真剣な顔をして考えこんだかと思うと、僕らの予想を遥かに超えた、声を掛けることができない理由を言った。

 

「でもさ、その女の子のお父さんがやくざだったら、どうするの。『おまえ、よくも俺の大事な娘に手をだしてくれたな』って、俺殺されちゃうよ」

 

と。。。。。。。。。。いやいや、あなた、「もしもシリーズ」にもほどってもんがあるでしょ」。。。。。

でも、そういえば思い出した、大山くんはナルシストであり、思い込みも激しいんだけど、それ以上に妄想癖が半端なかったのだった。

正直彼のこのお話も、どこからが本当で、どこからが妄想だったのだろう。謎は深い。

 

言わずもがなであるが、大山くんに彼女ができたという話は本人から何度か聞いたことがあるが、その彼女に会った人は誰もいない。

男の子は母親に完全なるものを求めているのかもしれない

「お父さんは尊敬している」

 と小6の息子から言われたお母さん、

「じゃあ、お父さんと暮らせばいいじゃない」

と。その通りである。

 

旦那の浮気の発覚により別居生活をしているお母さんから聞いた話である。学校で少しだけ問題がある息子に対し苦労しているのに、何もしないお父さんを尊敬していると言われたら、それはたまらない。

僕はただその話を聞いているしかできなかったのだけど。

 

なんで、彼はそんな風に言ったのだろう?

 

彼には彼にしか分からない苦しさがあり、両親が別居している「今」に対し呪うような気持ちもあるだろう。僕が、彼にも、そのお母さんにも言えることは何一つとしてない。

でも、なぜか、その話が終わった後も、ずっとその事が引っ掛かっていた。

 

なんで、彼は「お父さんは尊敬している」なんて言ったのだろう?

 

 

僕の母親のことは、何度かブログに書いた。

 

 

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犯罪を犯し刑務所に入った父、わずかな間とはいえ、その間に違う男と一緒に僕らの前から消えた母、どっちもどっちである。

それにもかかわらず、今だに傷として僕の心に残っているのは、母が僕らの前から消えたことである。

 

なんでだろう?

 

父の犯した罪により僕は少なからず肩身の狭い思いをした、分からなかったけど精神を病んでいたのかもしれない。でも、今となっては、父に対し弱い人間だったんだなと同情し、父のせいでけっこうシンドイ思いをしたのに、「あなたの人生、好きなように生きたんだから満足でしょ」というようなはなむけの言葉を送ることができる。

 

でも残念ながら、母のとった「わずかな期間とはいえ、僕たちを置いて消えてしまった」という行為は、今でも完全に受け入れることはできていない。その前と後では母に対する気持ちは大きく変わった。変わったまま今に至っている。(まあ、父に対してもかもしれないが)

 

 

これは私見なのであるが、男の子っては母親に対して完全なるものを求めているのかもしれない。「自分(息子)以上に大切なものはない」と母親に思ってほしいと。勝手な話であるが。

「お父さんは尊敬している」って言ったのは、母親に対する甘えなのかもしれない。あくまで推測だけど。あえて母親が傷つくような言葉を言う、それでも自分を愛してくれ、大切にしてくれるのを切望しているのかもしれない。いや考え過ぎか。。。

 

 

繰り返すが、小学6年生で母が僕の前から消えた、僕はその時の記憶から完全に逃れることはできていない。

 

もし、そのお母さんが息子を自分のそばから手離したら、その息子は母親から捨てられたと思うかもしれない、そして、その傷は一生残るかもしれない。それはそれで彼(息子)の人生ではあるのだが。。。

でも、頑張ってこれからも一緒にいれたら、「僕のために頑張ってくれた母」のことを分かる日が来ると思う。いや、もう分かっているのかもしれない。たぶんそうだ。

 

 

頼まれてもいないのに、その母親に伝えたいことを、伝える可能性がほぼないのに、いろいろと考えてしまった。

世間ではこれを「ヨケイナオセワ」という、、、、、でも、やっぱり、その母親も息子のことも応援せずにはいられない、、踏ん張れ、頑張れと。

 

 

 

目が覚めたら・・・・・後にも先にもあんな経験はあの1度だけ

「ここはどこだ?」

朝起きて、、自分がどこにいるか分からないって経験は誰にでもあるはずではないだろうか。

あの時もそうだった。

ハッと目が覚めた時、まったく自分がどこにいるのか分からなかった。ガヤガヤした広い部屋にあるベンチで僕は横になっていた。目を開けても、現実なのか夢なのか、まだ分からない。重い頭を起こし、周りを見渡すと、似たような服を着た、似たような人がカウンターのような場所を挟んで大勢いた。

見渡したところで、まだぼんやりとしている僕は、そこがどこなのか、はっきりとは分からなかった。頭のズキンズキンとする痛みと猛烈な喉の渇きだけが僕にとっての明らかな現実だった。水が欲しい。

だんだんと目に映っている風景のピントが合い始めた。僕は開いた目を、閉じたくなった。夢であったなら良かった。。。しかし、もう1度眠るなんてことは許されないだろう。

僕が起きたことに気づいたカウンターの中の1人が近づいてきた。近づいてくる人を見ながら、「なぜ僕はここにいるのだ。いったい僕に何が起こったんだ」と少しパニック状態に陥っていた。若い男性であった。

「目が覚めたか?」

と僕に声をかけた。それは決して心配しているような声ではなく、どちらかと言えば、やれやれ困ったもんだなって感じの声であった。

僕はカラカラになった喉の奥から声を絞り出し、「はい」と答えた。その若い男性は、

「じゃあ、こっちに来て、書類にサインがいるから」

と面倒くさそうな、事務的なというか、その言葉を言い慣れていた。

僕は重い重い体で立ち上がり、その若い男性の後についていった。立ち上がって分かったことであるが、片方の靴を履いていなかった。代わりに、足の先にはボロ雑巾のようになった靴下がくっついていた。カウンターに近づくにつれ、その中にいる人たちが僕の顔をみて笑っているように感じた。情けない。

足取りは重かった。それはズキンズキンと痛む頭、鉛のように重くなっている体のせいだけではなかった。僕のいる場所がはっきりとどこか分かったからだ。

そこは、「警察署」だった。

 

カウンターの椅子に座ると、その若い警察官が僕を保護した経緯を説明してくれた。どうも僕は道端で寝ていたらしい。それを見つけた誰かが心配し、警察に通報してくれ、そして保護された。ということだ。

その若い警察官と話をしているうちに、僕はだんだんと前日のことを思い出してきた。

確か、昨日の夜は大学のクラスメートと、僕のバイト先であるカラオケバーでお客さんとして飲んでいたはず。馴染みのお客さん達と楽しく飲んでいたことは覚えているのだが、途中からの記憶がない。飲み過ぎたようだ。

僕のつまらない話を聞きながら、若い警察官は書類にメモしたいた。一通り、僕の話が終わると、

「ここにサインして」

と、これまた事務的な、当たり前だが僕は歓迎された客でもなんでもない。ただの酔っ払いだ。この対応は寸分も違わず、最適な対応だと、今さらながら感心する。

僕はその書類にサインした。それを確認すると若い警察官は、

「これから気をつけるように、もう帰っていいよ。」

と。

アッという間に、僕は解放された。

 

もう、そこにいる理由もないので、なんとなく一礼して出口に向かった。ドアを開けると、まぶしい光が目に飛び込んできた。僕の所持品はなかったようだ。持っていなかったのか、盗まれたのかは分からない。分かっていることは、一文無しの僕は約1キロの道のりを片足裸足で帰らなければならないってことだ。

重い体を引きずるように歩いていると、すれ違う人がみんな僕の顔を見て笑っているように感じた。そんな訳ないのに。僕は砂漠で迷い乾ききった旅人のごとく我が家というオアシスを求め進んだ。

 

ようやく僕の住むアパートが見えてきた。玄関のドアを開け部屋に入ると、昨日一緒に飲んだと思われる友達が寝ていた。自業自得とはいえ、こいつは戻ってこない友人を気にも止めず1人寝ていたのか、しかも僕のベッドで、とイラリとしたが、まず昨日のことを確認するのが先だと彼を起こした。彼は目を覚まし、僕の方を見た。彼は僕の顔を見るなり、ニヤっと笑ったように感じた。「この野郎、でも、まあいい」、先を急ごう。

 

その友達が言うには、いや彼は友達だったのだろうか、どうだったんだろう。まあ、そんなことはどうでもいい。

彼が言うには、一緒にタクシーで最寄りの駅まで帰ってきたが、泥酔した僕はタクシーを降りるなり「おまえとは一緒に帰らねー」とアパートとは反対方向に歩き始めたらしい。引き留めようと近寄ろうとしたが、僕は靴を脱いで彼に投げつけたようだ。片足裸足であった理由がここではっきりとした。確かに玄関に、片方だけの靴が置いてあった。彼はあっさりと引き止めることを諦め、靴だけを拾い僕のアパートに帰ったようだった。とても薄情である。

警察で起きるまでの経緯は分かった。もう彼に用はない。心の底から沸き上がる、二度と顔を見たくないという感情に僕は素直に従った。

「帰ってくれる」

と彼に言い、サッサと部屋から出て行ってもらった。

 

1人になった僕はとりあえずシャワーを浴びようとお風呂に向かった。二日酔いの薄汚れた顔が鏡に写った。人に見せれる顔じゃないな。

「アレッ?」

なんか違和感が、自分の顔じゃないみたいだ。アルコールで顔がむくんでいるせいか、いや違う、明らかにいつもの自分の顔じゃない。恐る恐る、鏡に自分の顔を近づけた。

僕の鼻の下に、立派な「ちょび髭」が生えていた。そして、眉と眉の間、いわゆる眉間の少し上には漢字で「秀吉」と真っ黒い太マジックで書かれていた。僕は「秀吉」の文字を見て、「信長」でもなく、「家康」でもなく、なぜ「秀吉」だったのだろうと、検討違いのことが頭に浮かんだ。

警察署にいた人たち、すれ違う人たち、そして僕の部屋で寝ていた友人が僕の顔を見て笑っていると感じたのは、気のせいではなかったのだ。「秀吉」と「ちょび髭」がみんなを笑顔にしたのだ。いやいや、苦笑いを誘ったのだ。

 

後にも先にも「目が覚めたらそこは警察署だった」という経験はこの1度きりである。まあ、1度でもあれば十分かもしれませんがね。。。。。おしまい