だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

【母】両親の介護をするということ⑥

やらなければならないことが山積みにある。けれど、その時にやれることは1つだけ。1歩ずつ進むしかないのだ。それでも、必ず終わりは来る。止まない雨はないのである。って誰かが言っていた。 母が倒れてから東京に戻るまでの1週間。ぼんやりしている暇はな…

【父母】両親を介護するということ⑤

つづき お金がすべてではない。お金で買えないものもある。お金に魂を打った。などなど、お金はただのお金でしかないのに、なぜか悪者扱いされることがある。僕も誰かの影響を受け、そんな風に考えていたこともあった。心とは裏腹に。でも、やはりお金はある…

【母】両親を介護するということ④

とにかく動き始める。思いついたことはすぐに行動に移す。行動しなければ、良い出会いも、良い情報も、良い考えも生まれない。準備はそこそこに、まず動き出すこと。今では、それが僕の生き方になっている。 朝目覚めると、父はもうすでにテレビを見ていた。…

【母】両親を介護するということ③

つづき 決断する。すると、前に進む力が生まれる。そのことが分かるまで、ずいぶん時間がかかった。決断とは、断つことを決めることなのだ。そう、何かを断ち切らなければ前には進むことは難しいのだと、僕はようやく分かった気がする。 実家に帰ったその日…

【母】両親を介護するということ②

つづき 予想もしない、突然の災難が起こったら、まずやらなきゃいけないのは、1人でもその災難を乗り越えてやるって覚悟することだ、と僕は思うんだよね。 母の意識はいつ回復するか分からない。病院でリハビリの仕事をしていたので、もし意識が回復してもか…

【母】両親を介護するということ①

「お母さんが倒れた」 親の介護の話ってのは、できるだけ避けたい。だからか、親が倒れて初めて、これからどうすればいいのってなることが多い。僕は、どちらかと言えば、親の介護や世話については、すでに介護状態にいた父がいたので考えてないほうではなか…

母の言葉がとても痛快だった話

母は21歳の時に僕を産んだ。 僕が小学5年生の時は32歳だったわけだ。 僕の息子が5年生の時、つまり昨年、僕は49歳だった。 僕の母は49歳でおばあちゃんになった(弟に子ども誕生のため)。 そうか~、僕もおじいちゃんと呼ばれていてもおかしくないのだ、さ…

1枚の写真

今日は休みだったので、部屋の片づけをしていた。見慣れないクリアフォルダの中を開けると写真がでてきた。それは、今はなき実家を片付けている時にでてきた両親の写真たちだった。 その中の1枚に浴衣姿の2人の写真があった。まぎれもない僕が撮った写真で…

【たまには母親と僕の話】  依存心が強いことは不幸を招くような気がする

なんだかんだと、親父と僕の話も10回を終えることができた。これも、ひとえに読んでくれる皆様のおかげです。とても嬉しいっす。 やはり、自分のために書いている部分はあるけど、読んでくれる人がいるというのは、とても励みになる。心から感謝してます。 …