だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

理不尽さを学ぶ中学時代

懐かしい話である。僕のいなかの中学生は自転車に乗る時にヘルメットをかぶらなければならなかった。ヘルメットをかぶっていないことを「ノーヘル」といって、それが先生にバレたら、途轍もなく怒られるのだ。

事故に合った生徒がヘルメットをかぶっていたおかげで怪我なくすんだって話を何度聞かされたことか。その話も眉唾ものでしか聞いていなかったのだけど。

小学生はかぶらないで、中学生になるとかぶるって逆じゃねーのなんてことを思ったりもするのだが、決まっているルールに改革を起こすなんて術を僕たちは持ち合わせていない。ただ、コソッとそのルールを破るのが関の山ってもんである。

あたりまえだが、中学生にもなると、誰でも髪型を気にしたり、服装を気にしたりと色気づいてくるものだ。だから、ヘルメットをかぶって、せっかくムースで決めたヘアーをペチャリとつぶしてしまうなんてことは誰もしない。

あの時もそうだった。友達とそれこそノーヘルで自転車を走らせていた。僕たち、小心者の生徒はヘルメットはかぶらないものの、自転車のカゴにいつでも装着できるようにヘルメットを準備していた。どこに先生の目が光っているか分からないですからね。

前方から、見覚えのある顔が自転車でこちらに近づいてきているのが見えた。どうも、同じ中学校の先輩のようだ。しかも悪いほうの。僕の通っていた中学校は県内でも有数の校内暴力が起こっている学校だった。日常的にガラスが割れたり、バイクが走ったりもして、尾崎の世界を地でいっていた。

みなさんも経験があると思いますが、中学校の悪い先輩と道路ですれ違うってのは、少なくない緊張を強いられる。手前に曲がり角があるなら、そこからエスケープしたい。でも、そこは畑の中の1本道、逃げ場はない。僕たちに残された道は、ただ突き進むのみであった。

前から近づいてくる悪い先輩も、もちろんノーヘルである。あたりまえだが、僕たちのようにカゴにヘルメットをのせるような小物ではない。しかも、禁止されている二人乗りまでしているではないか。

そんなことはさておき、ここで僕たちができることは、出来るかぎり目を合わさず、何事もないような顔をし、先輩方の邪魔にならないように一列になり、道路の隅っこをすり抜けることしかない。

どんどん近づいてくる、いよいよすれ違う、先輩たちがこちらを見ているのは分かったが、何事もないフリを貫き通す。もちろん、視線は進行方向のみを一心不乱に見続ける。その時、僕たちは完全に無になることに成功していたのだ。無を認識することは誰にもできない。なんと、僕たちは、何事もなく先輩たちの横を通り抜けることができたのだ。

ホッとした。その瞬間、気が緩んだ。無から何かが漏れてしまったのだ。その漏れた何かを常に獲物を狙っている悪い先輩たちのセンサーが見逃すはずがない。そのセンサーはバリ3どころでないのだ。

「おい、お前ら~、ちょっと止まれ」

後方からドスの利いた声が。僕たちは自転車を止めるしかなかった。逃げたところで、そのロックオンから逃れることはできない。安全地帯まで無を貫き通すことができなかったことが悔やまれた。自分たちのミスだ、どんな制裁でも受けいれるしかない。不安な気持ちで振り返った。先輩たちは、僕らのほうを睨みつけていた。そして、

「お前らぁ~、ちゃんとヘルメットかぶれ。分かったかぁ~、くおらぁ~~」

と叫んだ。

僕たちは

「はいぃぃぃぃ~~~~」

と返事をし、すぐさまカゴからヘルメットを取り出し、ヘアーが乱れることなんてまったく気にせず、これでもかってくらいスッポリとヘルメットをかぶった。その姿を見て、先輩たちはアハハハと大笑いしてゆっくりと走り去っていった。

僕たちは目を合わせた。言葉はなくともお互いの気持ちが痛いほど分かり合えた。そして、先輩たちとは逆方向に静かに、でもできるだけ速く自転車をこぎ、安全と思える場所まで一心不乱に自転車をこいだのであった。

 

ここで、「お前らも中学生だろ。ちゃんとヘルメットをかぶっていないお前らに、そんなこと言われる筋合いはない」なんて1mmも思ってはいけない。中学時代の1学年の違いは王様と家来ほどの差があるのだから。そこで、僕たちは世の中の理不尽さをいうものを学ぶのである。