父のおかげで寛容になれたって話
その日の気分で書きたいことを書いているから、残念ながらブログにまとまりはまったくない。正直に告白するならば、もっとまとまりのあるかっこいいブログにしたいと思っている。
今日も、本当は先日行った、富岡製糸場や富岡市がやっているリアル宝探しのことを書こうと考えていたが、なんとなく気持ちがのらない(それを書いたとしてもまとまりはないけどね笑)。ま
まあ、僕の愚痴ともつかないボヤキはさておき、書きたいことを今日も書いていく。
最近のブログに対する心構えは、とにかく書くだ。
とにかく書きたいことを書いていく。いつまで続くか分からないが(笑)
ここから、書きたいこと。
自分で言うのもなんだが、僕には1つ自慢できることがある。
それは、人に対して寛容ということだ。自慢になるかな?
それは、家族に対しても、友人に対しても、他人に対してもである。
辞書的に寛容とは、
心が広くて、よく人の言動を受け入れること。他の罪や欠点などをきびしく責めないこと。また、そのさま。「寛容の精神をもって当たる」「寛容な態度をとる」「多少の欠点は寛容する」
ということらしい。
心が広くて、よく人の言動を受け入れるというところは横に置いといて。
僕の寛容さとは、その後の、他の罪や欠点などを厳しく責めないことっていう点のことだ。
けっして、責めないわけではなく、責め続けることがないというのが僕の寛容さの特徴だ。寛容さに特徴があるかどうかは知らないが。かなり理不尽なことがあり怒ったとしても、たいがいのことは、「まあ、いいか」とすぐにその怒りはおさまる。
当たり前のことであるが、生まれつき寛容だった訳ではない。
そこには、寛容になった理由があるのだ。
そう、寛容になったのは、僕の父のおかげである。
僕の父は愛すべき、ろくでもない人間であった。
僕が小さい頃から、父のろくでもないエピソードはたくさんある。
それを、いつか文字にしたいとずっと考えていた。
父のろくでなし人生の中でも、特にひどかったのが、酒癖である。
いやー、お酒には苦労させられた。
父はアルコール依存症ではないが(いや、依存症かな)、少しでも嫌なことがあると酒に逃げる。という習性があった。漁師という仕事柄、会社に行くわけではないので、飲みだすと一カ月くらい仕事をせずに飲むってこともザラにあった。
そのたびに、僕や家族は父に対し、お酒の飲み過ぎについて諭すのだが、あまり悪びれることもなく、
「もう飲まんがな、飲まんければいいんだろ」
と、出来もしないことを言い放つことで、それ以上は聞く耳を持たないという宣言の代わりとした。
こういったことが、どれくらいだろう、年に3、4回はあるのかな。よく生活が成り立っていたものだ。いや成り立ってなかったか、はははは。
幼い頃は、いつもお金には困っていたよね。給食費も払えないみたいな。
そう僕は、酒癖の悪さを決して改めることがなかった父と過ごすことで、寛容さを身につけることができたのだ。僕の父がやってきたことに比べると、どんなに裏切られたり、理不尽なことがあっても、たいした問題ではないなと思えて、すぐに許してしまう。
あの頃は本当にしんどかった。でも、あれがあったから今の僕があると思う。
だから、昨日に引き続き、人生に無駄はないなと感じずにはいられない。
2日連続で、人生に無駄はないと締めることになった。
今が楽しめているなら、どんなことも無駄じゃなかったと思えるから不思議だ。
今を楽しめてますか?
僕は最高に楽しんでます(笑)