だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

1枚の写真

今日は休みだったので、部屋の片づけをしていた。見慣れないクリアフォルダの中を開けると写真がでてきた。それは、今はなき実家を片付けている時にでてきた両親の写真たちだった。

その中の1枚に浴衣姿の2人の写真があった。まぎれもない僕が撮った写真である。僕が30歳くらいで、両親は今の僕の年齢くらいの頃の写真だ。確か、僕と両親3人で石川にいた僕の弟に会いに行った時のものではないかな。ついでに、親父が行きたいと行っていた兼六園に行ったんじゃなかったかな。あいにくの雨模様でしたが、喜んでいた。

その写真は、旅館の一室で母が父の肩に甘えるように寄りかかっていた。息子の前でよくやるなと思ったぐらいで、その時、その写真について特別な気持ちはなかった。でも、今、その写真を見ると、その時の母はとても幸せそうな顔をして笑っていた、父はちょっと照れたような表情を浮かべながらも、とても穏やかな笑みをたたえていた。

なぜか分からないが、僕はその写真を見て涙がでてきた。両親の思い出はその写真だけで十分だと思った。

僕は何に感動しているのだろう?

間違いなく、その写真に写っているように幸せな2人でずっといたわけではなく、いつ別れてもおかしくない時期もあったり、ケンカも絶えなかったはずだ。でも、その写真に写る2人は、信頼しあい、安心し、とても幸せな顔をしている。僕は、ただそれが嬉しかったのだ。この写真があって良かったと心から思ったのだ。ただそれだけだ。

 

親という存在はなんなんだろう。これから、もっと気づくことがあると思う。そのたびに、きっと、僕はそれを記録に残していくのだろう。