だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

オクサンは知らない人によく声を掛けられる話

 

 

僕のオクサンは、非常に人から声を掛けられやすいタイプの人である。ほんと、不思議なほど。例えば、二人で街を歩いている時のこと。遠くに周りをキョロキョロ見ながら、何か探しているような少し年配の女性がいた。その女性はふとこちらを見た瞬間、僕たちのほうに駆け寄ってきた。その距離、20Mくらいはあったのでは。駅前のけっこうな繁華街なので、たくさんの人をかき分け僕たちのほうに向かってくるのだ。

なんなんだと思ったら、僕には目もくれずオクサンに、

「〇〇にはどこにあるか、分かりますか?」

と道を尋ねてきたのだ。いやいや、駆け寄ってこなくても、もっと近くにそれなりの人がいたじゃないですか!とつっこみたくなったが、そこはグッとこらえた。オクサンはその場所を知っていたので、笑顔で優しく教えていた。

 そうなんです、オクサンは遠くにいる人を自分に引き付ける程、声を掛けられやすいのである。

 

そういったオクサンの特性は知っていたのだが、なぜかということまで考えたことはなかった。オクサン自身は「顔が丸いから、安心感があるのでは」と言っていた。なるほどと僕はその案で納得していた、今日までは。

 

顔が丸いってことも、声かけられやすい理由なのかもしれないが、もう1つの理由を僕は思いついてしまった。思いついたからには書き留めておこうというわけだ。前置きが長くなったが、いつも通りたいした思い付きではない。

 

オクサンが大事にしていることと、この声を掛けられやすさは関係があると思ったのだ。その大事にしていることは、

「愛嬌が一番大事だ」ってことだ。

いつもブレブレなオクサンも、このことについてはブレたことがない。もしかしたら、唯一のブレない信念みたいなものかもしれない。息子に対しても、他は何もなくていいから愛嬌だけはあってほしいと生まれた時から言っていた。おかげで、愛嬌のある子に育っている。

 

ここで何が言いたいかっていうと、愛嬌が大切だということではない。ずっとブレない信念みたいなものは、見た目に現れるのではないかということが言いたいのだ。見た目ではなかったら、その人の雰囲気、オーラ、たたずまい、みたいなものなのかもしれない。だから、全然知らない人も、愛嬌があって話しやすいとオクサンに感じて、声を掛けてくるのでではないか。

 

強い信念はその人の雰囲気、オーラ、たたずまいに自然に現れているとしたら、いつも「こういう人になりたい」と強く思っていることは大切なことであるとしみじみかんじるのだある。僕は「周りを元気にできるような人になりたい」と思っているのだが、まだまだ弱いのかもしれないなぁ~。