だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

足の裏

足の裏ってのは、その活躍の割に評価が低い。

 

足の裏は普段からとても酷使されている。

歩いていても、立っていても、その姿を見せることなく、足の甲に隠れ全体重を支えているのだ。甲斐甲斐しいにもほどがある。

ある日突然、足の裏が「もう、こんな生活耐えられない」と言っても、僕は責めることはとてもできない。

まあ、んなことはあるわけないけどさ。

 

とにかく、昨今、足の裏に対するいたわりが少ない輩が多いのではないかと、おじさんは感じているのだ。

 

かくいう僕も、 若いころは足の裏に対してかなり雑な扱いをしていた。

それはそれは、ひどいものであった。

お風呂でも足の裏を洗うのは後回し、いや、洗うならまだいい、「今日は外に出てないから、足の裏はキレイだよね~、ふふふ~ん」と訳分からん理由で洗わないこともしばしばあった。

 

でも、最近ではとっても大切に扱っている。

足の裏さま~~~ってなもんだ。

そのせいか、歳をとり固くなっていた踵の角質もやんわりするようになってきている。

愛情は伝わるのであるな、あはは。

 

なぜ、急に大切に扱うようになったか。

それには理由がある。

しかも、今回は説得力があるのだ。えへん。

 

仕事柄、お年寄りの足を揉むことがたびたびあるのだが。

その時に感じるのが、元気なお年寄りは足の裏が柔らかくきれいということだ。

聞いてみると、足の指と手の指を組んでギュッギュと握手したり、お風呂で足の裏を入念にマッサージしたりと、足へ裏への愛情がとても深い人が多いのである。

 

ねっ、ほら、思わず、足の裏をちょっと触ってしまいたくなるでしょ?

ほんと、足の裏を大事にすると、いい事あるかもかもですよ~。