だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

【生き方のこと】 「生きる強さ」について

 

 

「生きる強さがあるとこかな」

これは、有名なうちのオクサンの言葉。

 

結婚して間もない頃、僕を知らない友達から、「どこが良かったん?」とダイレクトに質問された時のオクサンの返事である。

僕の写真を見て、経歴を聞いてからの質問ってことを、一言を加えておく。

 

確かに、結婚した時、僕はリハビリの専門学校を卒業したばかりの、36歳の新人であった。つまり、収入が少ない、まったく写真映えすることない、ただのおっさんである。オクサンの友達の失礼な質問ももっともだ、と納得せざる得ない。

 

「生きる強さがあるとこかな」と答えられた友達は、「ふ~~ん」ってくらいしか反応しようがなかっただろう。結婚した理由としては珍しいかもしれない。オクサンの苦し紛れの返答という説も有力ではある。

 

 

でも、確かに「生きる強さ」を持っていたかもというエピソードはいくつかある。

 

 

社会人最初の会社で、ある日突然、「今日で会社を閉鎖します」と宣言され仕事を失った時もそうだった。

あの時も、「そろそろ辞めようかと思ってたし、次だな」とすぐに切り替えた。

 

 

つき合っていた彼女からネットワークビジネスに誘われた時もそうだった。あっという間に、ネットワークの上のほうにいる人に彼女を奪われ、ウン百万円のカードローンだけが残った。

でも、一発逆転だと、歩合制の営業を始め、1年で全額返済できた。彼女は帰ってこなかったけど、あはは。

 

 

そうそう、3か月の東南アジア1周の一人旅に出かけた時もそうだった。いきなり初日に、フィリピンマニラでほぼ全財産であったトラベラーズチェックを盗まれた。

でも、現地の人たちに助けてもらった。現地の人の指導のもと、賄賂を使い警察で盗難届を速攻で出すことができ(アジア、アフリカは賄賂の効果は強力だ)、今は無きトーマスクック支社まで連れて行ってもらい、トラベラーズチェック再発行することができた。あれで、完全に旅への肝がすわった。

 

 

というように、ピンチになればなるほど、力を発揮できるという強みがあるのだ、僕には、エヘン。

これが、20代、30代の頃に考えていた「生きる強さ」だった。どんな状況になっても生き延びる強さ、サバイバル的な強さがまさに「生きる強さ」だった。まあ、もうちょっと慎重に準備をしていれば、もともとピンチなど起こっていないという説もあるが、、、それは置いとこう。

 

だから、オクサンも「生きる強さがあるとこ」って答えたのも、まんざら冗談ではなく、本気だったのかもしれない。

 

 

 

まもなく、50歳になる。

あの頃とは「生きる強さ」ってものが僕の中で変化してきた。本質的には変わっていないかもしれないが、今、「生きる強さ」と考えるのは、

 

『どんなことでも全てを一度受け入れ、それでも前を向いて歩いていく人』

 

あの頃と、やっていることは同じかもしれない。ほんと僕は、行動じたいは変わってない。でも、振り返ると20代、30代の頃は受け入れるってことができなかったと思う。逆境を受け入れるのではなく、「逆境、なんだバカ野郎」と必死で乗り越えようとしていた。そういうのが、「生きる強さ」と考えていたし。でも今は、まだまだ小さいけれど、受け入れる器ができてきたのかなと思っている。

 

 

ムスコッチの「なんで、お父さんと結婚したの?」というオクサンへの他愛無い質問するところを見ていて、少しにやけながらそんなことをぼんやり考えていた。