だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

「安西先生、ブログ書きたいです」

f:id:pinewood13:20201127053747j:plain

 

少し前に、家族で山を歩いてきた時の写真。

50歳を目前にして、とても感傷的になりやすくなってきた。

この風景にもやられたのかもしれないが、オクサンとムスコが一緒に歩いているのを見て、涙がでそうになった。心が喜んでいるのが分かる。いわゆる老化(笑)

 

山を歩いていると、疲労からくるのか、自然の中にいる解放からくるのか、山の神様がそうさせるのか分からないが、家族、友達、自分について考えてしまう。

それは、多くの場合、相手への感謝と今の自分に対する幸福感みたいなものである。

 

もちろん、山を歩いている時だけではなく、ふだんの生活の中、ふとした時に家族、友達、自分について考える。

 

どちらの場合も、書き留めておかなければ、すぐにどっかに行ってしまう。

その感覚だけは身体が覚えているのだが、何を考えていたのかはアッという間にどこかに行ってしまう。

正直、どこかに行ってしまったところで、生活になんの支障もない。

 

ふと感じたこと、思ったこと、考えたことをただありのままに書くというのには抵抗がある。だが、ブログに書くということにあたり読んでくれる人のことを考えすぎると、それはまた疲れてしまう。読んでくれる人がいればなのにね、あはは。

 

まわりくどいな。

つまりこういこと。

 

安西先生、ブログ書きたいです」

 

書きたいという気持ちが沸いてきているのだ。

特に『家族』のことを。

 

それは、ただの日記のようなものになるかもしれないし、「落ちはどこだよ」ってものになるかもしれないし、「つまんねー」ってものになるかもしれない。

けど、どっかで自分の経験や考えが誰かの役に立てればと思っているのは心のどこかにある。

そんな気持ちで書いていきたいと思っている。

 

出入りの激しいわたくしでございますが、お付き合いしてくださる優しいお方よろしくお願いいたします。