だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

言葉ってのは知らないうちに誰かに影響を与えている

ずっと僕の心に残っている言葉を書き残しておきたい。少なくなく自分の生き方に影響を与えているから。

僕は何度も書いているが作業療法士としてリハビリの仕事をしている。現在は、デイサービスで高齢者のリハビリをしているが、最初は病院で働いていた。

学校を卒業して最初に勤務したのが、東京の西のほうに位置する病院だった。そこは、脊髄損傷の患者さんのリハビリをわりと専門にしていた。ご存じないかもしれないが、脊髄損傷のリハビリを専門とする病院というのは、実は珍しいのだ。

まあ、病院のことはさて置いて。

確か、2年目くらいの時に60代の脊髄損傷を負った男性のリハビリを担当することになった。その方は、今は無き築地でまぐろ問屋を経営していた。いわゆる社長さんだ。

お客さんと熱海あたりに遊びに行った時、テトラポットから転落してしまい脊髄を損傷してしまった。

状態としては完全な麻痺ではなく、不全麻痺。こう書いても分かりにくい。手も足もまったく動かせない状態ではないが、うまくは動かせないのである。なんとか、介助すれば立ち上がることはできるが歩くことはできない。少しは手が挙げれるが、ごはんを自分で食べることはできないというような状態である。誰かの介助がなければ寝たきりである。その方への僕のリハビリは、まず自分でご飯を食べることができるようにすることだった。

その方は、そういった状態にもかかわらず、明るく一生懸命にリハビリに励まれていた。そして、私たちスタッフや他の患者さんにも気を配るような人であった。

リハビリの時に患者さんの話を聞くのが僕は好きだった。その人にも、築地やマグロの話、それに加え株の話などなど、を聞いては驚いたり感心したりしたものだった。良いマグロは赤身も本当に美味しいってことも、その人から教えてもらった。し、ちょうどトヨタ株が7000円くらいまで下落していた時だったので、トヨタがつぶれる時は日本の終わりだと言い、今トヨタ株を買うチャンスだと勧められたり。面白い話はつきなかった。

いつも楽しい話をしてくれる人が、どんな話をしている時に言われたかは忘れたが、真剣にちょっと怒ったような顔をして呟いた言葉があった。

「どうして、あんなに好きでもない客と行きたくもないゴルフに行ったりしたんだろう。すごい後悔している。もっと家族と一緒にいれば良かったよ。」

って。ほんとに嫌だったと繰り返して僕に言った。

それは心の底から出てきた言葉だった気がする。リハビリ室に来るといつも明るく過ごされていたが、一人のベッドに戻ると、次から次へと後悔の思いが襲い掛かってきていたのではないだろうか。

その言葉は、ずっと僕の心の中にある。だからって訳ではないかもしれないが、

「明日、自分に何かあったとしても、後悔しない今を生きることができているか?」

ってほど大げさなものではない。けど、それに近いような気持ちをいつも忘れないように日々過ごしている。

仕事って、お金を稼ぐって、成功するって、名声を得るって、なんなんやろな?まあ、そんなに深く考えるタイプではありまへんが、あはは。