ロクデモナイ親父のロクデモナイ話ベスト10
こんにちは、パインです。
久しぶりですね~。
もう1つ山とごはんみたいなブログを書いてまして(まったく人気はありませんけど)、そちら中心にブログってました(笑)
はっきり言うと、「だんだんな気持ちで淡々と暮らす」のブログのほうが個人的には好きですね。じゃあ、こっちのほうを書けばって話ですが。なんで書かないのだろうね?
人間なんて分からないことだらけだからってことにしときましょ。
なぜ、今回、久しぶりに筆を執ったかと言いますと。
今さらながら、はてなブログの10周年お題「○○10選」について書きたくなったからです。
書きたいと思いついたのが、11月25日、そう締め切りは過ぎてました、だめね~。
でも、書きたくなった体は、もう誰も止められない。
時間はかけたくないから、乱文になるかもですが、やってみよう!
「親父のロクデモナイ話ベスト10」
ずいぶん前に親父の話を書いたのだけど、それも含めロクデモナイ話ベスト10を個人的に決めたいという思いが沸いて来たのである。
もしかしたら、長くなるかもしれないし、面倒になってサラリと終わるかもしれない。
記憶があいまいだから、一部想像上の話かもしれないけど、9割5分は本当。
では、パインが選ぶ、記憶に残っているだけの親父のロクデモナイ話ベスト10
令和2年4月6日午前8時、偶数がキレイに並ぶこの日にこの世を去った親父のことを久しぶりに思い出してみよう。
行くぜぃ!!!
第10位
かもめ事件
正直、なぜあんなことを親父はしたのか疑問なんだけど、言葉にするのもウンザリするんだけど、書きましょ。
あれは小学生の何年生かの頃だった。
親父が運転した車で、母親の実家に向かう途中でのことだ。
僕の田舎は港町であり、船が停めてある岸壁がすぐそばにあった。
その船が着く岸壁沿いを車で走っていると、その道の上にトラックから落ちたのか魚が散乱し、それにたくさんのカモメが群がっていたのだ。
完全に道をふさいでいた。親父はカモメに対しクラクションを鳴らすが、カモメたちは微動だにしない。親父が段々とイライラしてくるのが分かった。
そして、親父はまさかの行動に出た。
そう、カモメの群れに向かって車を走らせたのだ。。。
逃げ遅れたカモメのうめき声が、車の下から聞こえてくる。
「ぎゃ~~~。」
僕は親父に向かって叫んだ
「なんしちょうだー(何をやっているんだ)」
すると親父は小学生の息子に向かって叫んだ
「おわに鳩を待てってーだか(俺に鳩を待てというのか)」
と。
恐ろしい形相の親父に対し、僕はそれ以上何も言えなかった。
僕は決して振り返らず、親父とともにおじいちゃんの家に向かったのであった。
第9位
刺青事件
僕の親父は10代の頃はとてもやんちゃで、右肩、右足に刺青があった。
もちろん、今どきのかっこいいタトゥー的なものではなく、いわゆる和もののもんもんってやつである。
子どもの頃はそれが嫌でたまらなかった。それは、こちらに詳しく書いている。
まあ、興味ある方は読んでみて。
まあ、それは置いといて。
あれは、いつだったかな。はっきりと覚えていない。
とにかく、僕はもうすでにいい大人になっていたのは間違いない。
風呂上がりの親父の上半身裸に違和感を感じたのだ。
すぐにはそれが何か分からなかった。
それから数分後、その違和感に気づき、
「はぁぁぁ~~~~」
と、すぐにお袋にその違和感を問いただした。
「左肩に刺青増えていない?」
お袋はバツが悪そうにうなづいた。
こういうことだった。
僕の田舎町に腕のいい彫り師がやってきた時に、安くしとくからと誘われたらしい。
いやいや、どんなネットワークからその話くるのよ。
孫もできて、今さら、左右のバランスが悪いからって理由で刺青増やすかいな。
第8位
プロマイド事件
これも以前にブログに書いたな。
良ければ読んでね。
この事件は、20代の親父が上半身裸で自慢の刺青を露わにメンチ切っている写真をカメラマんに撮影してもらっていたことだ。
撮ってもらっただけならまだいい。親父はそれを拡大し、台紙に挟み、まるで見合い写真のようにしていたのだ。
それはまさしく、親父のプロマイドである。
それを、本棚の奥から見つけたまだ幼い僕は、度肝を抜かれ、ガクっと肩を落としたことは間違いない。
この刺青のことで、幼い僕たち兄弟は、どれだけ嫌な思いをしたことか。
まったく分かってない親父なのだ。
「はぁぁぁあ~」である。
第7位
拳銃事件
これもブログに書いたので良ければどうぞ読んでください。
もうこの文章のままである。
一時、我が家には拳銃があったのだ。
もちろん、僕たちはアメリカに住んでいた訳ではないので、拳銃が家にあることは違法行為である。
まあ、ラリッていたのか、親父はこともあろうか、子どもに自分が持っていた拳銃を自慢げに見せびらかしたりしたのだ。
このへんで、薄々気づいていただきたいのだが、うちの親は数々の違法行為をしている、いわゆる、一時話題になった反社会的勢力では人物である。
まあ、もう死んじゃったし、罪は償ったから、あまり責めないであげてほしい。
その拳銃が黄色い油紙に巻いてあり、ずっしりした重さがあったことをはっきりと覚えている。後にも先にも拳銃を持ったのはあの時が最後である。
当たり前だが、これからも持ちたくはないし、自慢げに見せられたくもない。
第6位
ヒモ事件
息子である僕が言うのもなんだが、親父は顔が良かった。今でいうイケメンである。
親父そっくりな弟が、学生時代、あっちこっちでモテモテだったことからも、親父もモテていたことは明らかだ。
あれは、僕が中学生だった時のことだ。
塀の中から帰ってきた親父が、塀の中で出会った東京にいる友達の家に遊びに連れて行ってくれることがあった。すいません、ややこしい言い方で。
友達の家に行く前に寄るところがあるとその相手に電話した。
公衆電話から戻ってきた親父は、まったく知らない町の、まったく知らない家の前に車を停めた。そして、そこには僕がまったく知らない綺麗な女の人が待っていた。
親父は車から降り、その女の人と話をし、何かを受け取った。
車の中から、僕の目はその受け取ったものをはっきりと確認した。
それは、1万円札の束であった。
たぶん、20枚はあったのではないだろうか。
もう中学生になっていた僕は、2人の関係は間違いなく大人な関係に違いないことを確信していた。
が、東京に行けるってことに浮かれていて、親父が浮気していようがしていまいが、心からどうでも良かった。どこ吹く風なもんである。
青春時代に入っていた僕は、とにかく大都会東京に行けるなら、なんだってやってやるぜって気分であった。
たぶん、典型的な見栄っ張りな親父は、友人への土産にいくらか包まないことには格好がつかないと考えていたのだろう。
まともな仕事もしていない親父はお金なんてなかったはずだから、その女の人からお金を借りたのかもらったのかしたのだろう。
しかし、息子の前でヒモっぽいことをやっちまうなんて、常識なんてどっかに捨ててきてやったぜな親父である。
子どもの教育上よろしくないので、良いお父さんは絶対真似しないでください。
まあ、しないわな。
第5位
痴情の縺れ事件
これは5位にしたものの、親父のことってより、親父も含めたそのドラマのような場面がロクデモナイって話であり、とっても印象に残っている。
塀の中で出会った友達の家に泊めてもらった時のことである。
その家は、その友達とその母親が2人で暮らしていた。
はっきりと覚えていないが、公団の団地で3部屋あったと思う。
大人の宴は続いている中、退屈な僕は隣の部屋で先に布団に入った。
ウトウトしながらも、3人の話が聞こえてきた。
友「○○さん(親父)に会わしたい人がおるんよ」
母「こん子も、10人並みだから、いいと思ううんだけど、なかなか結婚できない」
みたいなことが。
母親は結婚してほしい、どうも友達は飲み屋のお姉ちゃんに入れあげている様子。
親父はベロベロで話を聞いている。
そんなこんなで、僕は眠りに落ちてしまった。
すると、隣の部屋で誰かが叫んでいる。
「お前も殺して、俺も死ぬ」
そして、ベロベロな声で
「んまぁ~、うんまぁ~、しゅわれやい(まあまあ座れよ)」
と。
目が覚めた僕は、少しだけ開いている襖の間から隣の部屋を覗いた。
そこには、包丁を持っているその友達と30代くらいの水商売風の女性が立っていた。
そして、その間にはベロベロな親父がいる。
どういう流れで、こんなことになったのかは分からないが、一歩間違えば殺人現場である。
もちろん、殺す気なんてないから、その場は親父の
「しゅわれやい(座れよ)」
の言葉が効いたのか、すぐに2人とも座って、その場は落ち着いたようだった。
ここは親父のお手柄だったかもしれない。
しかしあれは中学生にはあまりにも刺激的すぎる場面だったので、記憶に鮮明に残っているのである。
なぜか分からないが、次の日、その女性の中学生になる娘さんと一緒に遊んだこともはっきりと覚えている。とってもかわいい女の子だったからである、あはは。
第4位
木刀事件
これは映像としてはっきりと覚えている事件だ。
まだ、小学生の低学年の頃じゃないかな。
まだやんちゃな20代だった親父は、兄貴と舎弟みたいな関係にとても憧れを持っているようであった。
我が家によく遊びに来ていたあんちゃんがいたのだが、そのあんちゃんはややお頭が弱かった。子どもの僕にもそれは分かるほどに。
ある日、そのあんちゃんがやらかしてしまったのだ。
何をやらかしたかは分からない。
そのやらかした話を誰かから聞いたほろ酔いの親父は怒り狂いだした。
それは、まさに鬼の形相であった。
すぐに、そのあんちゃんんを我が家に呼んだ。
窓からあんちゃんの姿を見つけるや否や、上半身裸で、そばに用意していた木刀を手にして、
「このガキャ―――(このクソガキがー)」
と叫びながら外に飛び出してた。
びっくりしたあんちゃんは、踵を返し、すぐに逃げ出した。
逃げるあんちゃん、木刀を持って追いかける親父。
その様子を、「絶対に近所の友第にみられませんように」と祈ることしか僕にはできなかったのであった。
第3位
テレビに名前でた事件
地味であるが、ショックはかなりでかかった話。
このことは前にも書いている。
良ければ読んでね。
親父はある罪を犯し塀の中に2年ほど入ることがあった。
それは小学校6年から中学2年の間の出来事で、もっとも敏感なお年頃であった。
僕らが暮らしていたのは、ちょっと歩けば顔なじみばかりいる、狭い小さな町である。
振り返ってみると、その頃の僕は心が病んでいたんだと思う。
小学生で胃が痛くて眠れなくなったりしているのを覚えているし。
とにかく、近所の人や、友達に親父が塀の中にいることを知られてはならないと気が張っていたのだ。
塀の中から帰ってきてすぐの頃、親父と一緒にテレビを見ている時のこと、ある事件の犯人の名前がテレビに映った。
青い背景に白抜きした名前と年齢がでる感じのやつ。
それを見た親父が自慢げに
「俺もテレビに名前がでたらしいぞ、新聞にも」
とこともなげにニヤニヤしながら自慢げに呟いた。
「はぁぁぁぁぁ~~~~」
である。
あの時の隠し通そうとした僕の頑張りはなんだったんだ~~~。
まあ喉元過ぎればなんとやらである。
絶対変わらない人がいるってことを学んだ瞬間でもありましたね、あはは。
第2位
電話怖い事件
これもブログに書いているね。
しばらく恐怖症だったよね、電話にでるの。
たぶん高校生になるくらいまで苦手だったと思う。
うちの親父はお金に本当にだらしなかった。
借金だらけ、さいごに土地家財産すべて失ったからね、あははバカだ、ああはなりたくないナンバーワン。
それは僕が幼いころからで、借金取りからしょっちゅう電話かかってきていた。
親父は居留守使うために、長男である僕が借金取りからの電話にでて
「お父さんはいません」
って言わなきゃならなかった、すぐそばにいるのに。
小学低学年がヤ○ザな人から恫喝されるってのは思った以上に精神的に悪い。
良いお父さんたちは借金は作ってもいいけど、子どもに迷惑をかけちゃだめだよ。
こういうのって、けっこうな心の傷が残るからさ。
さて栄誉ある
第1位は
救急搬送事件
このこともブログに書いております。
いやいや、いろいろロクデモナイ事件を起こす親父ですが、酒絡みがもっとも多いかな。その中でも、これが最高にロクデモナイかもね。
今でも、同級生にこのネタを話すとウケるからね、僕の財産だわな。
シンプルに言うと、酔っぱらって道端で寝ていた親父が救急搬送され、病院に迎えに行ったら、そこに立派な医師になっていた高校の同級生の女ん子がいたって話。
その子は驚いた顔で僕に
「お父さん?」
って聞いてきたんだよね。その横で、酔っぱらった親父は車いすに座らされ、
「○○ちゃ~ん(僕のこと)」
と上機嫌に僕を呼んでいる。
なんとも、笑っちゃうしかない。
その後は、医師(同級生)から親父の病状の説明を受けたのだけども、情けないやら恥ずかしいやらだよね。
やっぱり、親父のロクデモナイ話では、これが一番かな。
ってことで、長々と、だけど一気に10選を書いてしまった。
書きたい気持ちが沸くってのは、親父が時々は俺のことを思い出せよって言ってるように感じる。
これも親孝行なのかもね。
乱筆乱文を最後まで読んでくださった、なんとも奇特な方々、どうもありがとうございました。
はぁぁぁ~~~気持ち良かった。。。