だんだんな気持ちで淡々と暮らす

淡々とした生活の記録

【母】両親の介護をするということ⑥

やらなければならないことが山積みにある。けれど、その時にやれることは1つだけ。1歩ずつ進むしかないのだ。それでも、必ず終わりは来る。止まない雨はないのである。って誰かが言っていた。

 

母が倒れてから東京に戻るまでの1週間。ぼんやりしている暇はなかった。いや、ぼんやりしたくなかったってのが本当なのかもしれない。ジッとしていると大きな不安に飲み込まれそうになるのだ。予定を入れ、何か1つずつでも前に進んでいるという実感が欲しかった。「1日何もできなかった」って思う日を作りたくなかった。

何かを解決するため、分からないことを知るため、やることの優先順位を決めるため、誰かに相談する。その時に持っているモヤモヤしたものが少しでも晴れると、何か正しい方向に進んでいるという実感が持てた。とても前向きな気持ちになれるのだ。それに人と話しをした後ってのは、単純に気分がいい。優しさや温かさにも触れることができるからかもしれない。

それは些細なことでも、十分に僕を前向きにさせる。

母の年会や貯蓄は郵便局の口座に入っていた。このお金を引き出すのには問題があった。それは、キャッシュカードの暗証番号を知らないってことだ。意識のない母に聞くわけもいかない。窓口で困っていることを説明するが、本人でなければお金は引き出せませんとのこと。母が意識がないと言っても、息子だぞって言っても、家庭裁判所で後見人をつける必要があると事務的な反応を返されるだけだった。同情は一切しない、あくまでもルール通りに事を運ぶ姿勢に、苛立ちを覚えた。のだが、彼は正しいことを言っている。苛立ちは筋違いだ。反省。

その反省が功を奏したのか、分からないが、あることが閃いた。すぐに窓口を後にして、ATMに向かった。カードを入れ、4桁の暗証番号を入力した。残高が現れた。現金を引き出せる。閃いた暗証番号が正しかったのだ。その番号は、父の誕生日であった。それは防犯的にはかなり問題がある。のだが、今回は母のそのバカさかげんに助けられたって訳だ。ラッキー。

無事、問題が解決すると、また少し前を向くことができた。さきほど事務的な対応しかみせなかった郵便局職員に対しても、情なんかに流されず自分の仕事を全うしている真面目な青年だな。なんて、簡単に手の平を返すことができた。加えて、自分が倒れ意識がなくなった時、妻や息子が困らないために準備をしとかなければならないな。ってことも身に染みた。つまり僕は学習したのだ。成長。

 

知識として知ることと、実際に経験することでは、身に着き度が50倍くらい違いますよね。